「漫画ブリッコ」のことはちょっと言わせてもらいたい

確か「漫画ブリッコ」という雑誌の編集長・大塚英志氏だったと思う。

漫画ブリッコ」は、あまり大きな声では言えないのだが、30年ほど前、楽しみに買っていた月刊漫画雑誌である。なんで大きな声で言えないのかというと、当時としてはかなり過激なエロ漫画を掲載していたからである。挿入シーンや、その時の女性の表情などを割と克明に描いていて、ちょっと飛び抜けていたのだが、それ以上に画期的だったのは、登場する女性がみなそれぞれに可愛く、魅力的だったことである。

それ以前のエロ漫画――小中学生の頃に、苦心して入手し男同士で回し読みしていた雑誌に掲載されていた漫画――というのは、内容は確かに(小中学生にとっては)過激ではあったが、女性が美人でもなんでもなく、そもそも作者がキャラクターに愛情を持って描いているとは思えず、そういう時代だったといえばそれまでだが、考えてみればあれでよく需要があったものである。

ブリッコに登場する女の子キャラは、みな可愛かった。見た目もそうだが、性格設定も考えられていて、実にキュートだった。そういう風に「キャラ」を立たせていたのである。こういう子とヤリタイ! と思わせる子が登場し、実際その子とイタすことになるので、だからメチャクチャ感情移入したわけだ。

漫画ブリッコ」のもうひとつの特徴は、「ノルマさえ果たせば何をやってもいい」という自由な雰囲気にあった。ノルマというのはこの業界の符牒で、エッチシーンのことである。これは想像だが、過激なエロシーンを描けば一定の売上げは期待できる、営業的な利益を確保しておいて、その中でさまざまな実験的な試みを行ない、才能が開花されるのを待つ。これがオーツカ某の編集方針だったのではないか。だから、恐ろしくマニアックな作品が多かった。そして、あとになってよく言われることだが、ここから育った作家は多いのである。雑誌自体がマイナーで、実質3年ほどだったことを考えると驚異的である。

こうした姿勢は読者欄にも表われていて、記憶によれば読者欄というような決まったフォーマットがあるわけではなく、何か思いついたら送ってこい、面白かったら載せてやる、というようなスタンスだったと思う。だからその時々で3ページだったり4ページだったり量も一定していなかったが、編集部の目に留まれば逆に原稿依頼がきたりして、本誌に作品が載る人もおり、そこからプロになった人もいたはずである。はばかりながら、ワタシもそれで一度漫画作品を掲載していただいたことがある。それっきり声はかからなかったが……

「おたく」「萌え」「ツンデレ」などの言葉は当時はなかったが、それらの要素が内包されていた。「ブリッコがなければコミケもなかった」という人もいて、いやいや歴史的にはコミケの方が古いのでそれは間違いなんだけど、今のコミケで主流になっているおたく的なものの源流をたどっていくとブリッコに行きつくとは言えるだろう。ブリッコの前にも「レモン・ピープル」があり、同時期には「アップル・パイ」があり「アリスくらぶ」があったのだが、そんな中でブリッコは、作家、読者、編集者それぞれの熱気がぶつかり、異様に熱く燃え上がっていた感がある。オーツカ某の能力だったとも言えるが、時代だったんだねーとも思う。

ブリッコの紹介はさらりと済ませて、その次の話題にいくつもりだったのだけど、書き始めたら短くは収まらなかった。古い話だがネットに情報が転がっていないかと検索したところ、「漫画ブリッコの世界」というサイトに詳細な資料があって驚いた。

美少女漫画の元祖のように言われることもあるけど、自分としては、これまでの「少女漫画」から独立した「女の子まんが」をジャンルとして確立したのがブリッコだったと考えている。