岩重孝逝去

岩重孝(今は「いわしげ孝」と表記するらしいが)との出会いは「ビッグ・コミック・スピリッツ」だ。

1980年10月に同誌が創刊された時、もちろん僕らは音無響子さんに会うために創刊号から購入を決意したわけだが、その連載陣の中に岩重孝の「ぼっけもん」があった。

創刊号からの連載とは編集部からはそれなりに期待されていたのかも知れない(事実、6年後にこの作品で小学館漫画賞を受賞する)が、正直、第三のビッグコミックとして鳴り物入りで創刊されたこの漫画誌は、高橋留美子の「めぞん一刻」を除けば新人かマイナーな作家ばかりで、期待外れもいいところであった。もっとも、狩撫麻礼谷口ジロー「青の戦士」という名作中の名作に出会えたことは僥倖であった(今に到も埋もれている作品なので、ここで強調しておく)。それに吾妻ひでおの「とつぜんDr.」、いしかわじゅんの「ちゃんどら」の競作もそれなりに面白かった(仲が悪いとされる二人が同じ雑誌に連載を持ったのはこの時だけだと思う)。

「ぼっけもん」も、話の内容はともかく、線が汚く、美人として描いているであろう女性の顔が全く美しく見えなかった。そんなわけで初対面の印象は散々だったのだが、その後、彼の絵の傾向はほとんど変わらないのに、絵に対する不快感がどんどん消えていったのは不思議だ。後期の作品「青春の門」などはとても面白く読み、続編を期待していた。遺作となった「上京花日」は連載と休載を繰り返していたが、病気療養のためとは知らなかった。58歳とは若い。これからの人だったのに。

それにしても、3月6日に亡くなられたのにニュースが今になって流れてくるのは不思議である。死体が発見されたなかった、とかではなく、既に近親者で葬儀も済んでいたのに。また、死因が明かされていないのも「なんだかな」という感じである。気のせいか、漫画家はそういうことが多い気がする。

(2013/8/6 記)