ビフォー・アフター

東日本大震災の起きた3月11日以降、日本は、日本を取り巻く世界はさまざまな意味で大きく変わるだろう、とは何人もの識者が指摘することである。

東京では、列車の運行が不順になり、一部の物資が一時的に不足し、たびたび計画停電の影響を受けているくらいで、実質的な被害は出ていないし、そんなにトラウマになるような出来事ではなかったはずだが、想像以上に自分の心に影響を与えているらしい。例えば過去の出来事を思い返す時、それが3月11日以前だったか以後だったかをすぐに考える自分がいる。

それが仕事絡みで、どこそのこのお客さんを訪問したのはいつだったか、とか、誰それと飲みに行ったのは、というようなことであれば、3・11以前か以後かはすぐにわかる。3・11以後はほとんどの客先訪問は取りやめたし、毎日ほとんど定時で会社を出て、まっすぐ帰宅しているから。つまり生活が変わったからだ。

しかし、小説とか漫画とかでも、最近読んだものを手にとって、これは3・11以前だな、とか3・11以後だったな、とか思ってしまうのだ。別に嗜好は変わっていない。3・11以降は大前研一を熱心に読む、というわけでもなく、相変わらずミステリーばかり読んでいるし、漫画も同様だ。何も変わっていないはずなのに、「以前」とか「以後」とかいちいち考えてしまうのはなぜなのか。