奥多摩で出会った人

chd2010-05-06


5月3日、奥多摩へ行った。

休日は意図して身体を動かさないと、全く歩かなくなってしまう。といって、家の近所をぐるぐる散歩しても退屈だし、というわけで奥多摩に行ってみることにする。当初の目論見としては、奥多摩駅から奥多摩湖まで行って帰ってくると約10kmで、片道1時間くらい。途中休憩を含めても3時間くらいなら休日の散歩としては手ごろだし、歩数計のカウンターをかなり回すこともできるだろう。

などと考えていたのだが、結果的には奥多摩湖には向かわず、愛宕山に登ったのだった。一応道があるところを歩いていくのだが、舗装された道(とはいえかなりの急坂)から林道に入ると、岩や木の根などがごろごろしていて足場が悪い上に、段差もかなり厳しい。かなり体力が必要だった。しかし……。当たり前だが、歩数計はそうした事情は斟酌しない。高低があろうが足場が悪かろうが一歩は一歩。汗だくになって登って降りて約2時間、歩数計ではわずか4,600歩ほど。倍付くらいはしてほしかったなあ。

まあ、たっぷり森林浴もしたし、頂上では眺めも良かったし、このハイキング自体は満足できた。

しかしなんというか、不愉快なできごともあるにはあった。奥多摩駅を降りて、駅前の地図を見ると、いろいろと散歩コースが示されている。××山3時間コースとか、××畑1時間半コースとか、先月完成した香りの道はどこだとか。こんなにいろいろあるとは思わなかったため、湖に向かうか山に向かうか、山に向かうならどのコースを歩くか……とつぶやいていると、すぐそばに座っていた男の人が、いきなり「湖行くのは無理だよ。とても歩ける距離じゃないよ。無理無理」などと話しかけてきたのだ。そうしたらその隣にいた奥さんらしき人が、「バス使えばいいじゃない」「バスだってねえ、道が混んでいるからすごく時間かかるよ。やめたがいいよ」。

うーん、出かける前にも地図は見てきていて、10分や20分で行けるわけじゃないことくらいはわかっている。だいたい、湖が見たくて来たのではなく、歩きたいから来たのだ。なんでこんな風に決めつけられなければならんのか。親切で言っているつもりなのかも知れないが、それなら「湖までは結構距離あるよ。1時間くらい歩くつもりなら、いいけど」とでも言ってくれればいい。無理かどうかはもちらが決めることだ。ムッとしたので、黙ってその場を離れたが、ま、向こうは向こうで、「若い奴は礼儀を知らねえ。せっかく教えてやったのに、返事もしないで行っちまいやがった」くらい思っていたかも知れない。

帰り道、そろそろ奥多摩駅というあたりで、道づれになった人がいた。途中の民家から出てきた相手が「いやー、酔っ払っちゃった。無理やり飲まされてさー。これじゃ自動車は運転できないから、電車で帰らないと」などと慣れ慣れしく話しかけてくるから、成り行きで駅まで一緒に向かうことになったのだ。

そうしたらいきなり「あんた、子どもは?」ときた。なんでこんな頓馬な質問に答えなければいけないのかと思いつつ、「いません」というと、「いいねえ気楽で」という。嫌味な口調に感じたのはこちらの僻み根性ゆえか? しかし、三本杉のところで「東京一高い」と立て看板が出ていたため、へえと見上げると、「こんな高さの木なんて、このあたりじゃいくらでもあるよ」などと知ったかぶりをする。うんざりして、「どうぞお先に」とやり過ごした。こんな奴とこれ以上一緒に歩けるか。

この日はもう一人、気分が悪い人に出会ったのだが、このあたりでやめておくことにする。旅は道ずれというけれど、どうして話しかけてくる人というのはこのレベルなんだろうか? 妙齢の美女が「今日は一日、付き合ってくださらない?」(阿刀田高の小説に出てくる女性的口調)などと話しかけてくるのなら、歓迎なのだが。

写真は、靖国の塔。