今は並んで座っている秀家と豪姫/八丈島旅行(7/9)

旅行にPCを持っていくかどうかは悩んだ。持っていくとなるとかなりの荷物になる。インターネットに接続できない可能性は高そうだし、持っていかなければ相当身軽になるのは間違いない。が、初日は夜の出発だが所用もあってお昼前には家を出てしまったので、夜までメールチェックもできないのはちょっとまずいという事情もあり、考えてみたらiPodも携帯電話もPCのUSBから充電するから、PCがないと、それはそれで困ったことになる。というわけでノートPCに電源(これが重い)を抱えての旅行となった。

携帯電話はホテルでは通じないものの、港や空港近辺では通じることがわかり、日中はメールチェックができた。e-mobileは今のところ全く通じる様子がない。空港近辺でダメなら全島ダメだろう。とはいえ、出発直前まで仕事関係のメールのやり取りもあったし、IPアンリーチャブルでもこうして旅行記を書き溜めておけるわけで、持ってきた甲斐はあった。

前の晩の船内雑魚寝に比べればホテルのベッドは天国だと言いたいところだが、やはりあまり熟睡できない。やはり、というのは、出張などでホテルに泊まるとたいていそうだからだ。

朝食のバイキングには満足した。朝食であまり豪華なご馳走を食べようとは思っていないので、期待度がそう高くないせいかも知れないが、そもそも朝食メニューは、冷めても問題ないものが多い。海苔、納豆、冷や奴、佃煮、漬物、茹で卵、煮物に煮豆と種類も豊富だ。こうした時の煮物は温かくなくても不満はないのだ。

結構すごい雨で、ちょっと出かける気にはなれない。出かけないとホテルで昼食は取れないが、昼までに雨が上がらなかったら昼は食べないつもりで朝をしっかり取る。

午前中は本でも読もうと思っていたが、たくさん食べ過ぎたのと、ゆうべあまり熟睡できなかったせいもあり、うとうとと寝て過ごす。お昼過ぎてもまだ雨が上がっていなかったため、英語の勉強に取り掛かる。思わず熱中してしまい、気付いたら16時半。雨はとっくにあがっている。あわてて出かける準備をしてタクシーを呼ぶ。

出かけるからには歴史民俗資料館に行ってみたい。が、タクシーを待つ間ガイドブックを調べてみると、営業時間は16時半まで。間もなく17時。残念。あと1時間早ければ……。そこで、宇喜多秀家の碑を見に行くことにする。運転手さんに「宇喜多秀家の碑」というとそれだけで通じる。

「秀家と豪姫の碑ね。豪姫は秀家の奥さんね。秀家は息子二人と島送りになってね。秀家は数え85歳で死ぬまで再婚しなかったけど、息子二人は島の人と結婚して子を成して、子孫がずっと続いているわね。でも『宇喜多』は名乗れないから、上の子は『浮田』に字を変えて、下の子は『喜田』にしたのね」

あれ、昨日聞いた話と微妙に違う。こちらが聞き間違えたか……

「秀家は八丈島に来てから、死ぬまで奥さんには会えなかったんだから、ずいぶん残酷な仕打ちだわね。今は並んで座っているけどね」

「え、豪姫は島送りにはならなかったんですか」

「豪姫は前田家の預かりになったね。だから、秀家のところには前田家から食べ物とか酒とかの差し入れがよくあったらしいね。秀家は関ヶ原の戦いで敗れた側の武将だから、本当なら打ち首になってもおかしくないところだわね。命が助かっただけでもよしとしなきゃいけないのかも知れないね」

本当なら打ち首になっても、は昨日の人も言っていた。島ではずっとそんな風に語られているのだろうか。

「西軍の将でも、戦死した人は別として、戦後に死刑になった人はほとんどいませんよね。総大将の毛利なんかはちゃんと毛利家が残っているし」

「毛利は総大将といっても徳川と内通してて、関ヶ原でも手は出さないという約束だったからね……。石田三成は殺されたよね」

「三成はね……。宇喜多秀家って、八丈島の人にとってはどういう存在なんですか」

「まあ、一番の有名人かな。ここは秀家以外にもいろいろな人が送られてきたけど、八丈島に送られる人はほとんどが政治犯とか思想犯なのね。要は時の政治権力者ににらまれたというだけで、普通の犯罪者とは一線を画していたよね。みんなとても教養があったから、島でもそういう人は知識人とか文化人として手厚くもてなしたね。自分たちにとっては先生みたいなものだから。明治になって罪が許されると、一族は板橋に越して行ったけど、傍流の人で島に残った人もいるね。私の先輩にも浮田っていたね」

島にとっては歴史的な教養人なわけか。

秀家と豪姫の碑は、だいたい想像していた通りではあるが、二人の石像が建っているだけで、他にこれといって見るものはない。僕が泊まっている八丈シーパークリゾートホテルや、船が発着した底土港は八丈富士の東側にあるが、この碑があるのは西側に当たる南原海岸沿いである。西側はかなり風が強い。そのため、高い木が育たないのだそうだ。確かに、同じような海岸でも東側とは風景が違う。

一通り見てから、海岸沿いに歩いて八重根に向かう。八重根港を見たかったけど、知らないうちに通り過ぎていた。気付かず通り過ぎてしまう程度の規模のところなのか……。少し回り道をして、昨日も歩いた目抜き通りを再び歩く。覚えのある道であるが、暗くなって居酒屋などの灯りがつき始めると雰囲気は一変する。三根にある「音屋」というラーメン屋で550円のしょうゆラーメンを食べる。麺は細い縮れ面で、おいしい。昨日の3,500円のバイキングより満足度は上。昨日おみやげを買った「民芸やました」の角を曲がってホテルに戻る方向で歩くつもりだったが、道を間違え、休憩のつもりで入ったスナックで深夜まで過ごしてしまい、そこからタクシーでの帰還となった。