中田久美が好き

後にも先にも、ダンナ以外で中田久美選手が好みのタイプという人を私は聞いたことがない。

中田久美、好きでしたよ。若いくせに気の強そうなところとか。

僕が全日本女子バレーに興味を持っていたのは、1980〜1984年くらい。オリンピックでいえば(幻の)モスクワ〜ロサンゼルス、全日本でいえばユニチカの勢いに陰りができて、代わって台頭した日立が無敵を誇り、外国人を起用したヨーカドーが上位に食い込み始めた頃。選手でいえば横山樹里、広瀬美代子、江上由美、三屋裕子中田久美、大谷佐知子といったあたり。大林素子は、春の高校バレーを見ていて、「こいつ、すごいな」と思ったことは覚えているのだが、社会人時代は知らない。

で、ロス五輪の時でいえば中田はまだ18歳。江上、三屋、杉山加代子らそうそうたる大先輩を前に、臆することなく、(セッターという役柄とはいえ)堂々と彼女らを使いまわしていた印象がある。

中田が怪我をして、チームを離れてから全日本女子は勝てなくなった。彼女の存在がいかに大きいか、その時に気づかされた。のちに戦列に復帰したものの、全盛期の輝きを取り戻すのは時間がかかり、彼女がベテランと呼ばれるようになった頃は、かつての中田や大谷のような、生意気でイキのいい若手はいなかった……、というのは僕の一方的な見方で、どこまで当たっているかわからないけど。

一方、中田は顔立ちも可愛かったため、アイドル的な扱いも受け、すごく人気があった。でも、それは僕らの世代なのかな。ファッジさんのダンナはよくわからんけど僕より一回りくらい若そうなので、違うのかも知れない。

引退後、週刊誌のグラビアに登場したり、セミヌード写真集を出したりしたのは、びっくりした。アスリートなのにアイドルのように扱われることを、本人は厭がっていたんじゃないかと考えていたのだが、そうでもなかったんだな、と思って少し幻滅したことを覚えている。といいつつ、もちろんその写真集は買った。

数年前、たまたま何かのテレビ番組に出演しているのを見たが、「将来の夢はなんですか?」と訊かれ、「えー、これは本当は口にするようなことじゃないですけど……実は、全日本の監督がやりたいんです」「え、全日本の監督ですか?」「はい、これはずっと思ってました。私なんかじゃ、とても無理かも知れないけど、でもいつかは、と。人前で言うことじゃないですけどね」と答えていたのが強烈に印象に残った。強気の中田は健在だった。

中田久美、好きだ。

追記(2/21)

「7人家族の真ん中で。」をいろいろ読んでいたら、年齢に触れてある記事があった。どうもバニラファッジさんは僕と同じ年らしい。へー、中田、人気あったと思うけどな。まあ「好みのタイプ」というのとは違うのかも知れないけど。