東孝先生が亡くなられた

2021年4月3日、東孝先生が胃がんにより逝去。71歳。

東孝といっても一部の格闘技ファン以外はほとんど知らないと思うが、早稲田大学極真空手部の初代主将で、1977年の第9回全日本空手道選手権大会のチャンピオンだ。1981年に極真を離れ、大道塾を設立。

梶原一騎の作品を熱心に読んでいると、極真空手の総帥・大山倍達だけでなく、高弟たち(芦原英幸とか添野義二とか)にも詳しくなるものだが、東孝の名はほとんど出てこない(皆無ではない)。「空手バカ一代」は第5回全日本大会および第一回世界大会までを描き、「四角いジャングル」では第10回全日本大会および第二回世界大会が描かれ、ちょうど第9回の全日本の頃は狭間に入ってしまったためである(第6回全日本で準優勝、第一回世界大会では6位入賞、第二回世界大会では4位入賞と、活躍してはいるのだが)。

いや、話は逆だ。東孝梶原一騎の派閥の人間ではなかったから、彼がメインのエピソードが描かれなかったということか。

1970年代でローキックの名手というと、盧山初雄を思い浮かべる人が多いのではないかと思うが、盧山式ローキックは単発であった。これを連発してきたのが東孝で、これによって極真のローキックは非常に実践的かつ強力な武器に変わった、と僕は思っている。いや、ローキックの蹴り方が大きく変わったのが誰もが認識しているが、変えたのは東孝であると自分は考えている。

若き日に極真空手の道場に通ったことがある。この時の先生が東先生の後輩に当たる方で、東先生をこよなく尊敬する人であった。

東先生とは一度だけお会いしたことがある。

東先生が独立されたあとのことだが、何かの学会が東北大学で開催され、それに出席するため、仙台の地に数日滞在することになった。こんな機会は二度とないと思い、この機に東先生の道場を見てみたいと思った。住所を頼りに探し当ててみると、庭で上半身裸の東先生が、赤子を抱いておられた。それは試合や演武の時の(写真やビデオで見る)厳しい顔つきとは似ても似つかぬ、温和な表情であった。しかし、道着の上からだとかなり細身に見えるが、筋骨隆々、すさまじい肉体でもあった。

束の間、見惚れていると、先方に気づかれ、「君は?」と訊かれたので慌てて「押忍、自分は○○先生の道場生ですが、……」と言いかけると、「おぅ、○○君のとこの生徒か。こりゃまた……カッコイイところを見られちゃったな」と笑い、「まあよかったら見学していきなさい」と道場を案内してくださった。人懐っこい、いい笑顔だと思った。

打撃系格闘技として、極真空手の欠点はといえばやはり顔面攻撃がないことであるし、慣れない組み技・投げ技も脅威である。これらを取り入れたのは納得できることである。ただ、北斗旗大会を見学した感想をいうと、観客にとって「つまらない」のも事実であった。まだ「成熟していなかった」からかも知れないが……

東先生、安らかにお休みください。

(2021/4/9 記)