夏休みの宿題と自由研究

草津には本を2冊持っていったのだが、滞在中に読んでしまい、帰途は手持無沙汰であった。電車の中釣り広告を眺めていたところ、当日発売の文藝春秋の特別企画「勝つ日本40の決断」が目を引いた。その中に「キャンディーズ解散 30年目のランちゃんの言葉」があったからだ。それで駅で買い求めて読む。

結果的に、この企画はたいして面白いものではなかったが、「夏休みの宿題で人生が決まる」という特集は面白かった。夏休みの宿題をどのようにこなしたか、土壇場で慌てた人、さっさと済ませた人……それは、現在の仕事のあり方と共通するのではないか、という仮定のもと、各界著名人58人にアンケートを求めた結果、みごとに相関関係があった、とするものだ。

宿題のようなプリミティブな問題は、子どもの頃の躾けが一生に影響を及ぼすというのはさほど不思議ではないが、著名人がどのような仕事の進め方をしているかのアンケートは興味深く、自分はどういう風に過ごしたんだったかなあと子どもの頃を懐かしく思い出した。

かすかな記憶によれば、小学生の頃の夏休みの宿題というのは、「夏休みの友」とかなんとかいう40ページ前後の小冊子(ドリル)と、自由研究と、読書感想文の3つではなかったか。「夏休みの友」は、1ページごとに漢字の書き取りとか算数の計算とかが載っていて、一日1ページずつ進めていけばちょうど休み中に終わるようになっているものだ。ここにはその日の天気と気温も書かないといけなかったような気がする。

このドリル1ページの内容は、少しできる子にとってはたいして難しいものではなく、せいぜい5〜10分くらいで終わるものだったと思う。僕はこの冊子を受け取ると、2〜3日くらいで終わらしてしまった。小一時間で10ページ前後くらい進んでしまうのだから、一気に終わらせてしまった方が楽である。本は好きでたくさん読んでいたから、読書感想文はいつでも書ける。問題は自由研究だった。

自由研究の「自由」が曲者で、テーマが決まらなければ取り掛かれない。早々にテーマを見つけた時は良かったが、小学校6年生の時は夏休み最後の日までテーマが決まらず、苦労した記憶がある。

自由研究はクラス内で発表され、中で数点、先生が優秀と認めたものは壁に張り出されたり、後日の合同発表会で発表させられたりした。そうして他のクラスや他の学年の人の自由研究の内容も知ることになる。不遜な言い方をするようだが、僕はこれがどうにも不満であった。

勉強の苦手な人が必死にやった結果にどうのこうのを言うつもりはない。しかし、日常的に成績の良い人、クラスの中でも優秀と認められて合同発表会に出てくるような人の研究の内容があまりにも物足りなかったのである。

だいたい3つくらいのパターンがあって、ひとつは、太陽系にある惑星の名前、大きさや地球からの距離をまとめたようなもの。つまり、どこかの参考書か年鑑の内容をそのまま書き写しただけのもの。ひとつは、鶴亀算や植木算の解き方を要領よくまとめたようなもの。つまり、単なる授業のノート。それから旅行記。旅行に行った先の写真やパンフレットなどが散りばめられていて、あれこれ感想がまとめられたもの。

こうしたものをまとめたり、人前で発表したりすること自体に意味があることはわかる。しかし、何一つ「研究」していないじゃないか、と思ったのだ。こうした「研究」とやらに対して、「研究というからにはここまではやりましょう」といったアドバイスをするどころか、クラスの中の優秀作として選んでしまう教師に対しても不信感を持った。おかしいじゃねーか。研究というからには、少なくとも自分で調べた結果をもとに、なんらかの考察が加えられている必要があるのではないかと。

毎年そんな感じだったので、この程度でいいのか、こんなもんで褒められるのなら、簡単な話だと考えても不思議ではなかったが、そうは思わなかった。先生が正しい評価をしないのなら、自分できちんと評価をしなくてはならない。自分の基準に照らし合わせて恥ずかしくない、「研究」の名に値するものをしなければ、と子ども心に決意したことを覚えている。

他人の評価は重要である。お客様からどう評価されるかで営業成績が決まるし、上司にどう評価されるかで給料が決まる。だから、安易に「人の言うことなんか気にするな」というのは正しくない。ただし、自分自身の考える理念なり基準なりに対してどうかという判断は、それ以上に重要である。自分の評価の上に他人の評価が乗るのだ。……と現在の僕は考えているが、そうした考え方の萌芽は小学生の自由研究にあったらしい。