特技の話、または第二の天啓の話

上の息子は、何者かになろうと過剰な努力をするよりは、淡々と好きなことをしたいタイプで、それなのになぜか周囲から信頼を得ている。

言葉遊びかも知れないんだけど、「淡々と好きなことをする」というのも、それはそれで「そういう者」なんじゃないかな。

ところで、ビジネス人生を20数年過ごし、今はそれなりの立場というものができてしまったが、近年、僕はこれといった特技がないことがコンプレックスであった。

若い頃には、うぬぼれもあったし、自分はこれに関しては結構すごいんじゃないか、と感じたこともあったが、それは評価基準が低かったからであって、年齢や立場に伴い基準が上がると、得意だと思っていたことが実は人並みでしかなかったことを思い知らされたのである。

というような話を、つい先日、旧知の友人と飲んでいた時に漏らした。

もともとはエンジニアだったけど、自分には向いていないことがすぐにわかったし、営業は長く続けてきて、経験は積んだけど、本物の営業マンにはやはり敵わないなと思うし、自分では本業はマーケティングだと思っているんだけど、それは自分の中での比較評価であって、対外的にはこれといった実績があるわけではないし、以前小さな営業所を任されていた時に帳簿もつけていたからP/Lは一応書けるし読めるけど、B/Sはよくわからないし、大昔に社労士の資格を取ろうかと思ってちょっと勉強したことがあるんで、社会保険関係は少しわかるけど、結局試験も受けずにやめてしまったし、就業規則を作らされたこともあったけど、人事が務まるほど専門知識があるわけではないし、契約書も……

結局、この歳になって、俺には何の専門もないんだよ、と言ったところ、その友人は言うのだった。

それだけ広く全部わかっているっていうことが、お前の特技なんじゃねーの? 普通は技術の人間は経理なんかわかんねーし人事の奴は営業なんか務まんねーだろ。ひとつひとつはソコソコかも知んないけどさ、幅広くわかってるってことは、それ自体すげーことだと思うぜ。

えっ、と思って。

ああ、そうかと。そういう考え方もありかと。

ここ数年のコンプレックスがすーっと消えていく気がした。単純ですね。ま、昔、『コンピュータが「できる」「わかる」』(Adminではないけれど、1998/06/08)に書いた時以来の、二度目の天啓を受けたというお話。

友人とはありがたいものである。割り勘にしたけどね。

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