チューリップのアップリケ

岡林信康の作ったこの曲を知ったのは、たぶん高校時代だったと思うが、以来、何度も聴いたし何度も歌った。友人知人にも教えた。レコードは、アレンジを恐らく西岡たかしがしたものと思われるが、哀しく、切ない歌詞に、切ないギターがよく合っている。

うちがなんぼはよ起きても お父ちゃんはもう靴とんとん叩いてはる
あんまりうちのこと構てくれはらへん うちのお母ちゃんどこへ行ってしもたん
うちの服を早う持ってきてか 前は学校へそっと会いにきてくれたのに
もうおじいちゃんが死んださかいに 誰もお母ちゃん 怒らはらへんで

早う帰ってきてか スカートがほしいさかいに

チューリップのアップリケついたスカート持ってきて
お父ちゃんもときどき買うてくれはるけど
うち やっぱりお母ちゃんに買うてほし
うち やっぱりお母ちゃんに買うてほし


うちのお父ちゃん 暗いうちから遅うまで 毎日靴をとんとん叩いてはる
あんな一所懸命働いてはるのに なんでうちの家いつもお金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや そやでお母ちゃん家を出て行かはった
おじいちゃんにお金のことで いつも大きな声で怒られてはったもん

みんな貧乏のせいや お母ちゃんちっとも悪うない

チューリップのアップリケついたスカート持ってきて
お父ちゃんもときどき買うてくれはるけど
うち やっぱりお母ちゃんに買うてほし
うち やっぱりお母ちゃんに買うてほし

石川啄木の歌に「はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりじっと手を見る」というものがあるけれど、才覚の問題もあるし社会制度上の問題もあるし、貧しい人は必死で働いてもなかなかそこから抜けることはできない。そんなにお金がなくてもしあわせな生活を送ることはできるかも知れないが、度を超すと、心が荒み、家族崩壊につながることもある……歌に描かれた生活はまさにそうである。

父は必死で働くことでプライドを保ち、母は家を出て行くという選択があった。が、この子は何をどうすることもできない。ひたすら働いている父と、家を出て行った母と、怒ってばかりいた祖父を思うことしかできない。そして母に会いたい、母に服を選んでもらいたいと思っても、誰にも言えないのである。

という、ビンボの歌だと30年くらいずっと思い込んでいた。資本家が労働者を搾取するからこういうことになってしまうのだと。労働者よ立ち上がれ、いつまでもビンボしていていいのか、という気持ちを込めたプロテストソングなのだと思っていた。

つい最近、あれこれ調べていて急に気付いたのだが、この家庭はいわゆる被差別部落の人、もしくはそのこ出身の人なんですね。靴職人というのがその暗示だったわけだ。だからお母ちゃんは家を出て行ってしまったのか。それもわからずわかったような顔をして歌っていたのか。

「岡林信康の手紙」(2010/07/19)で、「もしかして、この歌の意味を知らないのだろうか」などと偉そうに書いたが、自分もわかっていなかった。まあ、死ぬ前に気付いて良かったが。

大いなる遺産 (紙ジャケット仕様)

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