「好きなもの」を手に入れるには

3月1日のtoshikkさんの記事を見た時から興味を惹かれ、あれこれと考えていたのだけれども。

特に努力しなくても自分の好きなものが見つかって、気が付いたらそれをやっている、というのはそれはそれで素晴らしいことだけれど、特に若い人の場合、それが本当にその人の好きなものだと決めつけてしまってよいのかな、という気がしなくもない。

逆に言うと、あることが好きは好きなんだけどイマイチのめり込めない、というのは、何かを好きになったり夢中になったりする能力がないのではなく、その人の好きなことは「あること」のすぐそばに潜んでいて、単に焦点がぼけているのに気づいていないだけなのかも知れない。

toshikkさんの場合は、文章を書くことだったり、おしゃべりだったり、そこそこ好きで続けている(仕事にも関連の深い)ことがいくつかおありのようなので、それだけでも素晴らしいことではないかと思う。しかし、「書く」とか「喋る」とかいうのもずいぶんと曖昧な話で、そこをもっといろいろと分析してみると、「書く」中にも、こういうことを書くのはあまり好きではないとか、こういう内容をこういう媒体に書くのは燃えるとか、見つかるのかも知れない。

言葉の綾なんだが、ジャンプして取りに行く、というより、投げ縄をしている感覚かな。一点を目指すと、それが外れた時に何も残らないし、何度やっても的を射抜ける確率は上がらない。しかし、とりあえずふんわりと輪っかを投げて、少しずつ引き絞って行けば、獲物は必ず締められる、みたいな。

まあ、他人のことはわからんけど。