二瓶正也亡くなる

2021年8月21日、俳優の二瓶正也(まさなり)が誤嚥性肺炎のためのため逝去。80歳。

二瓶正也といえばイデ隊員だ。科学特捜隊は、既にムラマツキャップが亡くなられているが、イデ隊員までが欠けることになった。アラシ、ハヤタ、フジ隊員はまだお元気のようなのは嬉しいが。


高橋三千綱亡くなる

2021年8月17日、芥川賞作家の高橋三千綱が肝硬変と食道がんのためのため逝去。73歳。

小説やエッセイは一度も読んだことはないが、学生時代に「我ら九人の甲子園」は夢中になって読み、単行本を全部揃えた。もっとも、30数年たってkindleで買い直したら差別的な言葉というか考え方に耐えられず、途中で買うのをやめてしまったが。どこまでが原作者の指定でどこからが漫画家が作り込んだ部分かはわからない。1~2巻なら今でもお薦めだ。

みなもと太郎亡くなる

2021年8月7日、漫画家のみなもと太郎心不全のため逝去。74歳。20日リイド社が発表した。

きっと多くの人がそうだろうが、「風雲児たち」がちゃんと完結するのか、ずいぶん前からずっと心配していた。いったい作者はあと何年くらい描くつもりで、どのくらいで終わりにする計画でいるのか。今のペースではあと10年かかっても終わりそうになく、しかし年齢を考えればいつまでも今のペースで描き続けてはいられないだろうし、おまけに時代が進むにつれてますます細かくなってペースは落ちているし。

そんな中、しばらく休載が続いていたため、嫌な予感があったことは事実だ。まだトシというほどの年齢ではなく、ちょっと疲れただけだろうと思いつつ、こういう日が来ることを覚悟する気持ちもあった。だから訃報に接したときは、まさか、という気持ちと、やはり、という気持ちが同居していた。

1979年に始まった作品を1997年にいったん終わらせた後(この時点で既に19年経っているのだが)、登場人物を整理し、「雲竜奔馬」として再スタートを切ったのはいいアイデアだと思った。かなり重く、遅くなっていた話の展開が再び軽快になって読みやすくなったからだ。これなら幕末を駆け抜けられると思いきや、この作品は単行本にして5巻でストップ、「風雲児たち 幕末編」として再び書き直すことになってしまった。時代は戻り、描写がていねいになり、これではあと20年経っても終わらないんじゃないかと思った。

おまけに並行して「宝暦治水事件」なぞを描き、いや、これはこれで抜群に面白いし多くの人が知らなかった話だと思うので価値も高いのだが、こんなことをしていてはますます幕末が遠くなるとひやひやしていた。これ以外にも盛んに外伝を描くし、同人誌まで描くし、ついに岩崎書店から「マンガの歴史」などという文字の本まで手掛けるありさま。いやこの本の内容も確かにみなもと太郎にしか書けない内容ではあるのだけど、こうした本を著すのは呉智英にでも任せておいて、「風雲児たち」の執筆に専念してくださいよ……さもないと死ぬまでに終わりませんよ……と祈るような思いでいたのは自分だけではないだろう。

しかし、これがみなもと太郎がやりたかったことなのだ。「風雲児たち」でも、特定の主人公を作らず、ある人を語ったかと思えば突然別の人を紹介し、さらに別の人を描き……と、彼の手法に慣れない人にとっては支離滅裂に感じられるほどに話がころころ飛んでいく。これは、歴史というのは特定の人間が作ったものではない、いろんな人が少しずつ関わって織りなしたものなのだ、という作者自身の歴史観が反映されているわけだが、作者自身があれこれ知りたがり、語りたがる性格でもあったのだろう。だからあと20年元気で長生きをしたとしても、終わらない。きっと50年かかっても、終わらない。

現時点での最終巻(34巻)では、坂本龍馬勝海舟と出会う場面が描かれる。「これから幕末が始まる」ともいえる有名なシーンである。「幕末を描く」というテーマの作品を42年かかって描いてきて、ようやく幕末が始まるのだ。ファンとしては、みなもと太郎はそういう作家だ、未完してやったり、と受け入れるしかないのだ。

千葉真一亡くなる

2021年8月19日、俳優の千葉真一新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による肺炎のため逝去。82歳。二度結婚して二度離婚。一人目の妻・野際陽子との間に真瀬樹里、二人目の妻との間に新田真剣佑と眞栄田郷敦の三人の子がいる。

極真空手の実力三段位(と思っていたのだが、Wikipediaを見たら四段位になっている。僕が最後に確認したあとで昇段したらしい)で、空手映画で何度も主演しているのを一度見たいと思っていたが、僕が空手に興味を持ちだした1980年代には既にボディガード牙シリーズやけんか空手シリーズなどはどこでも上映されておらず、その後も注意しているがビデオやDVDが制作された気配はない。

作品自体はその後リメイクされているが、役者に空手の心得がないため、チャチな作品になってしまっているのが残念なのだ。千葉真一の空手技を一度見てみたい。

ところでWikipeidaには「1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では志穂美悦子真田広之ジャパンアクションクラブJAC)メンバーを率い、演武とテレビのゲスト解説をした」と記載があるが、この大会は僕も武道館に見に行っている。会場に行くとすごい観客で、最近の空手人気はすごいなあ、それにしても若い女性が目立つが、そういう人にも空手は支持されているんだなあと思っていたら、真田広之の演武が終わった途端にその子たちがみな帰ってしまい、会場が閑散としてしまったことを今でも記憶している。人寄せのためにJACに来てもらったのはいいアイデアだったが、本当に人集めだけに終わってしまったようだ。

サトウサンペイ亡くなる

2021年7月31日、漫画家のサトウサンペイ誤嚥性肺炎のため逝去。91歳。

子供の頃、我が家は「新聞は朝日」であり、高校を卒業して家を出るまでずっと朝日新聞を購読していた。朝刊の四コマ漫画は「サザエさん」で夕刊が「フジ三太郎」だった。

サザエさん」は面白いとは思わなかったが少なくとも意味はわかった。が、「フジ三太郎」は全く意味がわからない(ことが多かった)。別にナンセンスを狙っていたわけではないと思うし、そもそもギャグ漫画でもなかったと思うが。しかしなぜか「大人たち」には受けが良かったらしく、その後長谷川町子が執筆できなくなると、フジ三太郎が朝刊に「格上げ」された。

このあたりは自分の目には「摩訶不思議」に映った。

家を出てからは朝日新聞自体を見ることがなくなり、フジ三太郎がその後どうなったかは知らない。当時の作品を今読んだら、意味がわかるのだろうか。

大谷翔平が32号

大谷翔平が止まらない。先日31号を打ったと思ったら今朝は32号を放ち、日本人のメジャー記録である松井秀喜の31本を上回る新記録を樹立した。

春先から調子が良くて、本塁打ア・リーグトップ、いや両リーグでトップといっていた時は、それだってもちろん誰でもできることではないので、すげえなあと思いつつも、いつかは落ちる、いつまでもは続かないと思っていた。打者の調子には波があるし、他球団だってバカではない、徹底してマークしてくるだろうから、打てなくなる時が早晩くるだろう、と考えたわけだ。事実、一回はア・リーグトップの座も譲ったことがあった。

が、その後さらに調子を上げて本塁打を連発し、いまや無人の荒野を行くが如し。今年の大谷が松井の記録を抜くのは間違いないところだが、まさか前半戦で超えるとは思わなかった。日本人の最多本塁打(20本以上):

1 32 大谷翔平 2021
2 31 松井秀喜 2004
3 28 松井秀喜 2009
4 25 松井秀喜 2007
5 23 松井秀喜 2005
6 22 大谷翔平 2018
7 21 松井秀喜 2010

日本人で(NPBで)年間45本以上打った選手は、平成以降では松井秀喜松中信彦中村剛也山川穂高の4人しかいない。この松井が、メジャーでは毎年20本台の本塁打がやっとだったのだ。

恐ろしいのは、大谷は本塁打を打つだけでなく、走れば盗塁12(オールスター前に32本&12盗塁はメジャー記録だそうだ)、そして投手として13試合(66回)に投げ、4勝1敗、奪三振87、自責点26、防御率3.55とエース級の働きをしていることである。

大谷は日本でも22本しか打っていない。出場試合数が少なく、大事に育てられていた面もあるが、渡米して進化したのだ。

世の中は一向に収まらない新コロナや迷走するオリンピックの運営など、気の滅入るような話ばかりの中、大谷の活躍は本当に元気が出る。

追記

早く書かないと数字がどんどん変わってしまうぞとは思っていたが、案の定、7月10日に33号を打った。ゲレロ(ブルージェイズ)の28本に5本差をつけ、メジャートップを独走。オールスター前の33本は歴代8位の記録だそうだ。

松坂大輔の引退

7月7日、松坂大輔の引退の報が流れた。遅きに失した感はあるが、本人が納得するのにそれだけの時間が必要だったということだろう。イチローもそうだが、最近は一流選手の引き際が難しくなっている。

松坂は1999年に横浜高校を卒業してプロ入りし、一年目から大活躍。4月21日のマリーンズ戦で黒木知宏と投げ合い惜敗、試合後に「リベンジします」と宣言すると、4月27日のマリーンズ戦で再び黒木と投げ合って1-0でプロ初完封を記録。「リベンジ」が流行語になった……という話は有名だが、この時の黒木の「松坂くんは末恐ろしいというより既に恐ろしい」は名言だったと思う。ネットを探しても出てこないので、ここに記録しておく次第。

松坂は一年目から最多勝を獲得。資質ある投手が大学卒でプロ入りした場合、一年目から活躍してタイトルを総なめにするのは珍しくない(松坂と同じ年にプロ入りし、何かと比較された上原浩治は、一年目に最多勝利、最高勝率、最優秀防御率最多奪三振を獲得している)。高卒でプロ入りした場合は、桑田真澄のような伸び方が理想的だと思っている。桑田の一年目・二年目の成績:

年度 試合 勝利 敗戦 防御率
1986 15 2 1 5.14
1987 28 15 6 2.17

プロのレベル差を思い知らされるのが一年目。二年目でぐっと伸び、タイトル争いに絡んでくるような選手が一流になる(桑田は二年目で防御率のタイトルを獲得)。松坂は活躍が早過ぎて、一年目がキャリアハイにならなければよいがと余計な心配をしていたが、なんと三年連続最多勝を獲得するなど、順調に活躍を続けた。

日本でのキャリアハイは2006年だろう。17勝5敗、勝率.773、防御率2.13は、いずれもタイトルには届かなかったが、本人史上最高の数字である。その上この年は開幕前にWBCがあり、3戦3勝・防御率1.38(MVP獲得)。またポストシーズンでも1試合に投げ完封勝利を飾っている。これらをすべて足すと21勝5敗ということになる。

WBCは僕もテレビでじっくりと観戦したが、その結果、松坂は見ていてあまり楽しい投手ではないな、と思った。投球間隔が長く、四球も多い。リズムが悪いのである。対照的なのが上原浩治で、上原の投球はまさに「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」という感じで、リズミカルで引き込まれる。夜のスポーツニュースや翌朝の新聞で読む限りでは松坂はいい投手なのだが、生の松坂はあまり魅力的な投手ではないというのが僕の評価である。

高校3年生の時の夏の甲子園の決勝戦京都成章戦)は、自分にしては珍しく時間が取れて、テレビの前で観戦したのだが、眠気が襲ってきて居眠りをしてしまった。気付いたら試合が終わっていて、ノーヒットノーランだったことを知り、この歴史的場面を見逃したのかと残念に思ったことを覚えている。が、あとになって考えてみると、この時も投球が退屈だったんじゃないだろうか……

渡米後は、少なくとも数年間は大活躍だった。が、日本に戻ってきてからについては語るべきことは何もない。ホークスに三年在籍したが、二年目くらいで引退を表明すべきだった。以降は、これ以上晩節を汚してくれるなと思うばかりだった。ようやく決断できたことを褒め称えたいと思う。