プリンスの栄光を支えた人々

プロジェクトXを見た

昨日、さる定食屋で夕食をとっていたら、テレビで懐かしいプリンスのR380が走っている様子が(古い映像で)映されていた。何の番組だと思って見ていたら、プロジェクトXだった。

どうやら富士スピードウエイでのレースらしい。ということは第三回日本グランプリだろう。宿敵・ポルシェと激しいデッドヒートを繰り広げたが、結局ポルシェがリタイアし、優勝を飾る。トヨタ・日産は敵ではなかった。給油に工夫を凝らして、ポルシェが50秒かかったのに対しR380はわずか15秒で済ませたエピソードも、ちゃんと紹介されていた。

栄光と挫折のプリンス物語

恐らく番組は、ここに至るまでの苦難の道のり、ポルシェとの因縁などを延々と紹介していたのであろう。初めから見たかったが残念だった。ポルシェに勝って優勝したら、プリンス物語は終わりである。画面には、ドライバーだった砂子義一さんのほか、桜井真一郎さん、青地康雄さんなど、ビッグネームが登場。みな、いいお爺さんになっていた。番組の最後に、NHKが何処からか持ってきたR380に桜井さんが乗り込み、エンジン音がスタジオ内に響き渡った時は、ちょっとじーんときた。

日本グランプリ後、プリンスは日産に吸収合併され、「技術のプリンス」は消える。吸収された側の元プリンスの技術陣に、日産の偉い人が「君たちの技術を教えてくれ」と頭を下げたところが紹介され、そしてプリンスの技術は脈々と受け継がれていきました……で番組は終わった。

うーん。日産に吸収されたところで物語を終えるなら、その後は簡潔に記すしかないのだが、吸収された側の人間の立場は、それほど単純ではなかったはずだ。たとえば……

箱スカの苦悩

日産がプリンスを合併した1966年は、ちょうど三代目のスカイライン(通称・箱スカ)を開発中であったが、合併によるコストメリットを出すため、ブルーバードのサスペンションの流用を指示された。既に設計は終わっていたが、仕方なく図面をすべて書き直した。エンジンも、1500ccはプリンスのG15だったが2000ccは日産のL20を使うことを余儀なくされた。開発陣はプリンスのG型エンジンの方がL型エンジンより性能がいいのにと思いつつも、従わざるを得なかった。

のちにはローレルとのシャシの共有化も指示される。スカイラインはスポーツドライブを前面に出したスペシャリティカーであり、ファミリーカーであるローレルとは全く性格が違う。それはいくらなんでもとスタッフは憤慨したが、どうにもならなかった。

GT-R登場!

ただし、レース出場を前提としたカテゴリー車だけは頑として譲らなかった。そして、R380で使用したエンジンを市販車向けにデチューンし(S20)、搭載した。これがGT-Rである。のちにカルロス・ゴーン氏に「ニッサンには特別な文字が三つある。それは、GとTとRです」と言わしめたスカイラインGT-Rは1969年に登場。第二回日本グランプリスカイライン伝説を作ったS54B(2000GT)の後継にあたり、レースに投入されるや連戦連勝。49連勝という金字塔を打ち立てた栄光のマシンである。

Z432の苦悩

そんな元プリンス車の栄光を、日産は指をくわえて見ていられない。GT-Rで使用していたS20エンジンを、フェアレディにも流用することにした。このS20搭載のフェアレディがZ432である。スカイラインは箱カー(4人乗り乗用車)だが、フェアレディは2シーターのスポーツカー。車重はスカイラインよりずっと軽いため、自動車としての性能はスカイラインを上回ると見られ、マニア垂涎のマシンとなった。が、実際には思ったほどの性能が発揮されず、短命に終わった。

S20の開発チーム(元プリンスの技術者)は、どうせエンジンを提供するなら、エンジンの使い方のノウハウも合わせて提供しようと申し出たものの、フェアレディの開発チーム(日産生え抜きの技術者)は、会社の命令だからエンジンは使うが、プリンスの連中から教わることは何もないと、指導を拒否したという。だから432はエンジン性能を生かし切ることが出来なかった……ともいわれている。

売店の苦悩

レースでの成績が反映してか、スカイラインは若者を中心に人気が爆発し、ベストセラーカーとなる。そうなると徐々に純日産系の販売店日産店)の不満が鬱積されていく。販売チャネルの関係で、スカイライン日産店では扱えない。なぜプリンス系の販売店プリンス店)のみが儲けて、自分たちは日産で最も売れている自動車を扱えないのか……というわけだ。

そこで日産は、スカイラインと同じ自動車をブルーバードという名称で販売することにした。これで日産店でも扱えることになる。ブルーバードも歴史のある自動車だが、本来は小型車。最初に2000ccが登場した時はスカイラインのいわばOEMだったのだ。

日産もいい会社だ

技術の歴史は人間の歴史である。人間は感情をもった生き物だ。だから大変だともいえるし、だから面白いともいえる。吸収合併された側の社員の立場は、いつだって大変だが、少なくとも日産は、プリンスの技術者をばらばらにして各チームに再配属するようなことはせず、極力チームとしてそのまま残した。そうでなければスカイラインの栄光の歴史も、40年経った今でもこうして「プリンスの技術が……」と言われることもなかっただろう。これは評価に値することではないかと思う。