「プロ野球ニュース」名物司会者が語る

スポーツキャスターとしての佐々木信也は多くの人がご存じと思うが、彼が野球選手、それも一流の選手であったことを知る人は少ない。そこでちょっと紹介してみる。

高校時代は一年生の時にレギュラーで夏の甲子園大会に優勝。慶應義塾大学に進学後は内野手として活躍、神宮のスタープレーヤーだった。4年生の時は主将。

プロ入り後は高橋ユニオンズに所属、ルーキーシーズン(1956年)は二塁手として全試合全イニング出場を果たす。新人で全イニング出場は史上初。のちに長嶋茂雄が記録したが、現在に至るもこの2名だけ。出場試合数は154試合で、これは新人の出場試合数としては今後とも破られることはない日本記録だ。

打率.286は豊田泰光中西太山内和弘、杉山光平、戸倉勝城に続く第6位という見事な成績で、180安打はリーグ一位(安打王:当時タイトル認定はなかったが)。ベストナインに選ばれた。信じられないことだが、これだけの成績でもなお、新人王には選ばれなかった。なぜならば、この年は高卒で21勝をあげ、防御率1.06という新人がいたからだ。稲尾和久である。

チームの吸収・合併のあおりを受けて、所属チームは2年目は大映ユニオンズ、3年目は大毎オリオンズと変わる。新しいチームでは居場所がなく、4年目には当時の西本監督からクビにされ、短いプロ生活を終えた。本人はこのことを相当根に持っていたらしく、ずいぶんあとになってラジオ番組で西本と対談した際、なぜ自分をクビにしたのかとかみついた。西本があれこれ言い訳を始めたのに対し、「そんなバカな話はないでしょう!」と言い返した……というエピソードが上掲書に出てくる。

テレビでは、いつもニコニコ笑顔を絶やさない、穏やかな人という印象を受けるが、実際は相当気性の激しい性格のようだ。