プリンスの栄光を支えた人々 リンク&コメント (2)

ああ、この人も好きなんだなあ。こういう文章は読んでいて楽しい。同好の士がすぐに見つかるのがインターネットのいいところ。

プリンスという自動車メーカーは戦前の中島飛行機が前身。

厳密にはちょっと違う。中島飛行機の血も引いているが、どちらかというと立川飛行機の直系である。

折から開催される第1回日本グランプリレースに活路を見出そうとしたがトヨタに惜敗。第2回GPには万全の体制で挑むものの、伏兵ポルシェに惨敗。

第一回日本グランプリでは、自動車工業会が「メーカーとしては一切協力しない」という態度を打ち出していたため、プリンス自工、富士重工本田技研などは素直にそれに従った格好だ。一方、スズキ、トヨタなどは、レースに勝てば営業面でも有利と判断し、申し合わせを無視してかなり力を入れて臨んだ。その結果、軽自動車ではスズキが、それ以外ではトヨタが出場全種目制覇を果たすという圧勝を飾った。これはレースに対する姿勢の差である。

万全の体制で臨んだ第二回日本グランプリでは、1600ccおよび2000ccのツーリングカーレースでは、それぞれスカイライン、グロリアで優勝。「技術のプリンス」を満天下に示した。問題はGTカーレースで、ここでプリンスはスカイラインS54B(2000GT)で参戦するものの、優勝をポルシェ904にさらわれることになる。ただし、ポテンシャルが明らかに違う自動車なのに熱戦を演じ、16周のレースのうち、わずか一周ではあったがトップの座を奪って走ったことから、スカイライン神話が生まれたのだ。

今の人にはピンとこないかも知れないけど、当時は、通産省の偉い人が「日本はトラックだけ作っていればいい」などと発言したりと、乗用車はいわゆる外車と明らかな性能差があった。それが、世界のポルシェを相手にしてひるまず接戦を演じたことで、見ていた人がどれほど高揚したか、想像に難くない。最終的にポルシェが優勝したことも、判官びいきの日本人の心情に訴えることになったのではないか。

この時のスカイラインがポルシェを追い抜く場面の写真は、それこそ多くの自動車関係の雑誌や書籍に繰り返し使われて、飽きるほど見たけど、今ちょっと探した限りでは、ネット上では見つからなかった。でも、この写真がすべてを物語っている。だって、ポルシェとスカイラインのスペックの差がどうとかではなく、一方はぶっといタイヤを履いた流線型のスポーツカーで、それを車高の高い箱型の乗用車が追い抜いていくのである。

ポルシェと接戦を演じたのはプリンスの力だが、もしポルシェが出場せず、プリンスの圧勝に終わったら、スカイライン伝説が生まれていたかどうかわからない。少なくともR380は誕生せず、そうなるとGT-Rも生まれなかっただろう。