これが八丈島のきょん/八丈島旅行(7/8)

うとうとしていたら4時半ころ、館内放送で起こされる。5時に三宅島着。いったん起きてデッキまで行くと、あたりはかなり明るくなっている。なんと、乗船客のほとんどが三宅島で降りるようだ。次の御蔵島では波が高くて寄港できないことがアナウンスされていたから、それでここで、という人もいたのかも知れないが。見ていると釣竿を持った人が多い。

三宅島を出てから急に揺れ出した。このくらいなら大丈夫と思っていたが、揺れは収まるどころかますますひどくなり、本当に気分が悪くなってきた。これは二日酔いの時に似ているなあ、二日酔いなら慣れているぞなどと考えたが、考えた途端、二日酔いの時のあの気分の悪さを思い出し、ますます気持ち悪くなる。眠れば楽になると思ったが眠れない。時計を見ると6時で、三宅島を出てからまだ1時間も経っていない。

デッキに出て風に当たれば気分転換になるかと立ち上がろうとした途端、胸からこみあげてくるものが。あわててトイレへいき、ゆうべのぎょうざをすべて戻して胃の中を空にする。少しすっきりしてデッキへ行くと、水面のうねりがすごい。船も大きく上下しており、これでは酔うのも当然だ。諦めて部屋へ戻るが、立っているより横になっている方がより揺れを実感する。さらに1時間くらいひたすら耐えていたが、いつしか揺れも収まり、それとともに眠りに落ちる。

9時過ぎ、船の人に起こされて目を覚ます。最後の一人で慌てて起きたが、まだ船は港に着いていない。何を急がされたのか。9時半、八丈島着。携帯はつながっている。雨が結構すごい。ホテルまでは歩いていくつもりで、送迎を頼んでいなかったが、この雨ではちょっと歩けない。タクシーに乗る。

運転手さんは地元出身の人だった。その割に訛りがなく、きれいな標準語を喋る。離島だから癖のある訛りがあるのかと思ったがそうでもない。観光客が相手だから? 今は堤防もできて船が着けるようになったけど、運転手さんが子どもの頃は波が高くて、カヌーのような小さな舟しか停められなかったという。それもちょっと雨風が強くなると流されてしまうから、みんなで引っ張って陸に上げたらしい。遠出をする時は船が沖に停まっていて、そこまで小舟で行って、飛び乗ったそうだ。

「お客さんが乗ってきたのはさるびあ丸でしょ? あれだって3000t以上あるからね。当時の船は500tとかそんなもんだから。それで修学旅行に行ったんだから」

三宅島を出てから急に揺れ出し、酔った話をすると、「それは黒潮を横切るから。その間は揺れるよね。昔は黒潮を横切るなんて命懸けだったよね」。

三宅島で降りた人が多かったんですよ、というと、今三宅島は釣りの穴場なのだという。「ほら、数年前に噴火があったでしょ。あれで長い間誰も住んでいなかったから、その間に魚にとって絶好の環境ができたんだね」。うーん、それは素直に頷けない。人間が住むと魚にとっての環境が悪化するのか……。

ホテルに着くと、宿泊確認はできたし、館内の案内もしてくれたけど、チェックインは14時だからそれまで部屋には入れないという。「島に着いたらまずホテルへ」と言われていたから、てっきり船で来た人は部屋に入れるのかと思った。まあ荷物は預かってくれるので、確かに荷物を抱えたまま観光はできないけど、朝食を取ろうにもホテル内にレストランはなし(朝食時・夕食時のみ営業)。出かけようにも、バスも通っていなければ送迎もなく、繁華街からは外れた位置にあるため、歩いていかれる範囲には何もなく、となるとタクシーを呼ぶしかない(12時になれば空港へ送迎バスが出るので、それに乗っていってもいいと言われたが、それまでは待てなかった)。携帯も通じない。当然e-mobileもダメ。聞いたらdocomoauならホテルでも通じるそうだ。

タクシーを呼んで、適当なレストランを教えてもらう。いくつか挙げてもらったが、明日葉(あしたば)そばの店にいくことに。明日葉は八丈島の名物で、生で食べてもいいし、天麩羅にしてもおいしいという。

「そうしたらね、植物公園のそばの店に案内するから、公園に寄ってくるといいよ。雨もやんできたし、散歩するにはちょうどいいでしょう。中にね、小さい鹿がいるよ。犬くらいの大きさで、それ以上大きく育たないの。きょん、っていうんだけどね……」

「きょん! 八丈島のきょん、ですか」

「知ってる?」

いや、本物のきょんは、実物はもちろん、写真も見たことはないけれど、僕と同世代の人間で、少なくとも男で、「八丈島のきょん」を知らない人はいないだろう。「きょん」って実在する動物だったんだ。他にもいろいろ珍しい動植物があるらしく、親切に説明してくれたが、よく覚えていない。とにかくきょんだけは見て帰ろうと固く決意した。

「お客さん、歴史に興味ある? 近くに歴史民俗資料館もあるんだけどね」「興味はありますが……、そういえば宇喜多秀家のお墓もありますよね」「ああ、あるよ。それを見てもいいやね。宇喜多秀家関ヶ原の戦いで負けた側の武将で、普通なら打ち首になるところなんだろうけど、特別に許されて八丈島に流されてきたのね。それで80いくつまで長生きして……」

一応そのくらいは知っているが、秀家のことは八丈島の人の方が詳しいだろうからと黙っていた。ちなみに、関ヶ原の西軍の主要な大名で殺されたのは、実は石田三成だけで、総大将の毛利輝元は(領地は減らされたものの)ちゃんと毛利家が残されているし(長州藩)、最後の最後まで抵抗した島津は直接には何も処罰を受けていない(薩摩藩)。長宗我部は領地没収されたが(土佐藩)、追放刑で死刑にも流刑にもなっていない。もっとも戦場へは赴いたものの戦闘には参加しなかったので、その割に過酷な処罰だったとはいえるが。

「秀家には三人の男の子がいて、長男が宇喜多を継いだんだけど、次男は字を変えて『浮田』になって、三男は一文字取って『喜田』を名乗ったのね」「え、喜田さんって、結構世の中にいるじゃないですか」「あれは全部、宇喜多の末裔だよ」

宇喜多家の罪が許されたのは明治になってからで、それまで一族はずっと八丈島に住んでいたはず(徳川政権下では決して許されなかったわけだ。それだけとっても政権交代は重要だ)。それから本土に戻ったとして、百数十年でそんなに広がるものか、『喜多』という人もいるが、その人とは関係があるのかないのか、ちょっと調べてみたい課題だ。

食後、植物公園をはじめ3時間近く歩き回ったが、市中ということもあって、離島にいる実感はない。雰囲気としては郊外の小さな町という感じ。ただ人が全然いない。自動車は時々通るので、もちろん人はいるのだけど、歩いている人を全く見ない。一応目抜き通りを歩いているのだが、「商店街」というものがなく、店はぽつりぽつりと離れて建っている。靴屋さん、本屋さん、織物屋さん、米屋さん、パン屋さんなど……中を覗いても、客は誰もいないし、店員の姿も見えない。何か異次元に迷い込んだような不思議な雰囲気だった。

途中、書店に寄ったらモーニングが並んでいたので買い求める。こういっては失礼だが少々驚いた。それは、発売日の前日には首都圏のキオスクには届いていたりするわけで、ゆうべの22時過ぎの船に積み込めば朝には島に着くわけだから、午後に書店に並んでいてもおかしいことは何もない。が、福島に住んでいた頃はほとんどの雑誌が東京の一日遅れで発売されていたことを考えると隔世の感がある。

雨は小ぶりが続いていたが、本格的に降ってきたため、歩くのは断念してタクシーを呼んでホテルへ戻る。

部屋はさすがにビジネスホテルなどと比較すると広くてゆったりしている。温泉に露天風呂もあるが、部屋にも(狭いながら)シャワー付きバスがあって、これはありがたかった。ホテルは海沿いにあり、建物の廊下をはさんで一方の側の部屋がオーシャンビューで料金が少し高い。僕はそうでない方の部屋を取ったのだが、こちらは八丈富士が一望でき、眺めとしては悪くない(今日は天候が悪いせいで山も海もほとんど見えないけど)。オーシャンビューかそうでないか、ではなく、オーシャンビューかマウンテンビューか、でいいのに。

再び出かけるのも億劫なので、夕食はホテルで取ることにする。夕食は(夕食も)バイキング。昨年、浜名湖の温泉に行った時もそうだったが、最近、観光ホテルで夕食バイキングというのは流行りなのだろうか。確かに種類は豊富でバラエティに富んでいるし、豪華っぽい料理も並んでいる。が、要は一度に作って並べておいて、客は三々五々きてそれを取っていく方式だろう。天麩羅は冷めてべちゃべちゃだし寿司は乾いてパサパサ。刺身はびしょびしょ。おいしいと思ったのはグラタンだけ。食材自体は悪くなさそうだが、作って時間の経った料理がうまいわけがない。作る人にしてみたら、こんな風な食べられかたより、手間はかかっても、客が来たらその都度人数分作った方が、おいしく食べてもらえてよほどやりがいがあるのではないかと思うが……

設置してある飲み物の自販機は、350の缶ビールが350円、まあこんなものかなとは思うが、船を思い出すとかなり高く感じる。ビールを飲むのはやめ、風呂に入って英語の勉強を少しして旅行記を書く。