Wikipediaの「吉田拓郎」や「六文銭」の項では、金沢事件は新六文銭のツアー中に起き、それが元で新六文銭は消滅に追い込まれたような記述になっている。が、山本コウタローの「誰も知らなかった吉田拓郎」によれば、新六文銭が音源も残せず消滅したのは、メンバーがそれぞれ所属していたレコード会社との契約問題の調整ができなかったためであり、金沢事件は新六文銭の解散後の出来事となっている。
信頼性にはとかく批判のあるWikipediaの記述と、事件直後に関係者が書いた本の記述と、どちらを信用するかといえば、明らかな気はするのだが、Wikipediaの記事を書いた人にしても、全く根拠なく作文をしたわけではなかろう。元になる資料があるはずで、それが何かが気になる。
もうひとつ、山本コウタローの書いた本は、その時関係者がどういう考えでいたのか、といった点においては他の追随を許さないものになっていると思うが、いつ何があった、という「出来事」の記載に関しては、鵜呑みにしていいものか……という気がするのも事実なのだ。新聞や雑誌、プレス発表などの「資料」と格闘し、ひとつひとつ確認を取って書いている、という風ではないので。そもそも、記事の中にほとんど日付が入っていない。
とはいえ、日付を間違うというレベルではない。金沢事件が起きたのが新六文銭の活動中のことなのか、解散後のことなのかについて、関係者が間違うとは思えないわけだが……意図的なプロパガンダだった、という可能性も疑っている。つまり、金沢事件を葬り去りたいがために、わざと「その時はもう新六文銭は解散していたんだよ」ということにしてしまったとか。
- 金沢事件
- 吉田拓郎が冤罪で逮捕され、金沢署に二週間拘置された事件。その期間中、マスコミによる拓郎バッシングの嵐が吹き荒れ、晴れて無実が証明されたあとも一切謝罪がなく関係者は深く傷ついたという。僕(CHARADE)は、薄汚いジーンズを着た、テレビ局様の出演依頼も断わるような生意気なヤツ(拓郎に代表されるフォーク連中)が市民権を得ていることに対する旧勢力の反感が、この時とばかりに噴出した事件、と考えている。
過去記事
- 山本コウタローによる吉田拓郎伝『誰も知らなかった吉田拓郎』(2010/02/03)