山本コウタローによる吉田拓郎伝「誰も知らなかった吉田拓郎」

山本コウタロー一橋大学社会学部を卒業する際、卒業論文吉田拓郎を取り上げたのは知る人ぞ知る話。本書は、彼が改めて拓郎の性格や生い立ちを綿密に調べ、書きあげた「吉田拓郎伝」である。内容は、拓郎が生まれた時から1974年まで。正確には、1974年の視点で1973年の金沢事件までを扱っている。

そう、これは1974年に書かれた本なのだ。それが35年経ち、昨年12月にようやく文庫化された。それでさっそく買ってきたというわけ。

もっと社会学の論文みたいな内容になっているのかと思った。だとすると読み通せるか不安だったが、もともと書籍として一般販売することを念頭に置いたためであろうか、くだけた表現を用いた、わかりやすい内容になっている。ある意味、普通の伝記である。厳しく言えば、作者が一人で勝手に盛り上がっていて、拓郎の才能とかアマチュア時代の活動について、天才だとかなんとか、やたらに大仰な表現を用いているが、もう少し冷静に、客観的に書いてほしかったと思わなくもない(ここに書かれているほどまっすぐプロを目指したわけではなく、さまざまな苦悩があり、何度も挫折を味わったことは、「小説吉田拓郎 いつも見ていた広島」に詳しい)。

が、それも無理はないだろう。「結婚しようよ」「旅の宿」とビッグ・ヒットを飛ばし、アルバムは「元気です。」「伽草子」「今はまだ人生を語らず」と三枚連続オリコン1位を獲得、さらに森進一に提供した「襟裳岬」でレコード大賞を受賞するという、まさにスーパースターへの道を駆け上がっていた時に、その渦中にいた人が書いた伝記なのだから。

吉田拓郎、28歳、山本コウタロー、26歳。「ニューミュージック」という言葉が使われるようになり、フォーク・ソングが一部の愛好者の間だけのものから、市民権を獲得しようとしていた、まさにその時の話である。時代の熱さ、若さ、未熟さ、幼さ、そうしたものがダイレクトに伝わってくる。下手に2009年の視点での加筆・訂正がなされていないのがとても良かった、ということを強調しておこう。

マチュア時代の話はともかく、プロになってから集めた関係者の証言は、さすがに同業者であり同じプロダクションにいた人間だけあって、詳しい。外部のライターでは、こうした生々しい証言は集められなかっただろう。

誰も知らなかった吉田拓郎 (文庫ぎんが堂)

誰も知らなかった吉田拓郎 (文庫ぎんが堂)

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