王貞治は偉大な人格者

王貞治の自伝。王氏が直接書いたか、語った部分の合間に、解説に当たるような文が小さいフォントで挟み込まれている。それを書いたのが誰か明示されていない。恐らく全体の構成もその人が担当したのだろうと思うが、なぜその人の名を出さないのか。そういう人がいたからといって、王氏をなんら貶めるものではないのになあ……。

王貞治については、現役時代のことも、監督時代のことも、既に知っていることばかりといえば知っていることばかりだが、改めて本人の口から聞けたのはよかった。そしてつくづく思ったのは、王さんというのは人格者なんだなあ、ということ。幼少時だって、選手時代、監督時代、それぞれ苦労もしただろうし、イヤな奴、恨みに思った人もいただろうに、「私は苦労をしたことがない」「兄のおかげ」「父のおかげ」誰それのおかげ……と、二言目には周囲の人への感謝が出てくる。年をとり、ユニフォームを脱いで、今となってはすべてがどうでもいいのかも知れないが、それにしてもなかなかできることではない。

もっとも、周囲の人がすべて善人に見えてしまう人柄の良さは、勝負師としてはどうなんだろう。自分が打つ時は、自らの努力で克服できたかもしれないが、監督という職種は、ある種の「人の悪さ」も必要であるように思える。名監督と呼ばれた人で、人格者でもあった人というと、仰木彬などが思い浮かぶが、彼もあっけらかんと嘘のつけるようなところがあったように感じる。監督としては何かと批判されることも多く、成績も今一つであったが、その理由がわかったような気がした。

野球にときめいて―王貞治、半生を語る

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