清原和博引退

野球のプレイそのものでの存在感がなくなって久しく、引退宣言が一ヵ月も前になされていたとは知らなかった。彼を見ていると、一流選手の「引き際」について考えさせられる。「プロの選手は使われなくなったらおしまい。逆に、まだ使われる機会があるのに(一軍のレベルはクリアしているのに)自分から辞めるのはええカッコしいだ」というような意見があり、僕も一時期はそう思っていたこともあったのだが、清原クラスになると、力がなくてもベンチにいたら使わざるを得ない事情があるし、成績が悪くてもある程度以上の年棒を払わざるを得ない事情がある。だから自ら決断することが必要なのだ。

晩節を汚してしまい、記録といっても打撃三部門のタイトルを一度も獲得していないことから、近年は「たいして打てもしないのに人気に乗って威張っているだけの選手」といったイメージがつきまというが、史上屈指の大打者であったことは間違いない。

無冠といっても打撃三部門のタイトルを取っていないだけで、最高出塁率のタイトルは2回、勝利打点は1回、新人王、ベストナイン3回、さらに連盟表彰ではないが得点王を1回、四球王を4回……と数多くのタイトルや年間一位に輝いている。が、清原の最高の勲章は、ライオンズ時代の在籍11年間に8度のリーグ優勝、6度の日本一に4番打者として貢献したことだろう。

森祇晶は、「(個人の数字よりもチームの勝利を優先する)彼のような主力がいたから、私は西武の9年間で8度も優勝できた」と語っている。これこそが野球人としては最高の評価ではないか。

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