嫌われている

「汝が語るは汝が真実」の11月9日付けのエントリ、「友人を信じられない」を読んで。

まあ、「表面上は親しげに付き合ってはいるが、やつ(ら)は本当は俺のことを嫌っているんだろう」と、誰に対しても思ってしまう、というのは多くの人が多かれ少なかれ感じる(ことがある)のではないだろうか。

遠藤賢司の「早く帰ろう」という歌(「満足できるかな」所収)に、次のような一節がある。

昨日知ってる人から電話がきたから聞いてみたんだ
「みんな僕を嫌ってるだろう」ってね
そんなことないわよってゆーけど嘘だよ早く帰ろう

学生時代は、なんて僕の気持ちを表している歌なんだとしみじみ思っていた。

いつの頃からかそんなことは考えなくなった。ひとつは、仕事で実績ができて、自分が理想として思い描くようなやり方で実際に自分が振舞うことができるようになってきたからだろう。

別にそうずば抜けて優れた人間というわけではないが、客観的に見ていいところもあるんで、それを認めてくれる人も少しはいるだろう、とごく自然に考えるようになった。……というと聞こえはいいが、もうひとつ、友達といっても学生時代のようにいつも行動を共にし、悩み事を相談し人生について語り合い、というわけじゃない。そういうベタベタした付き合いはもうしないから、心の中で僕を嫌っていようがどうだろうがどうでもいい、たまに飲みに付き合ってくれれば十分だと思ってしまうこともあるだろう。