野村克也亡くなる

午前中に訃報が飛び込んできた。午前2時、家政婦が風呂場の浴槽でぐったりしている野村を見つけ、119番へ通報し、病院へ搬送したが、3時半、死亡が確認されたとのこと。84歳。

ヒットやホームランなどの数字では長嶋茂雄をはるかに凌駕しながら、人気者の長嶋に対し全く注目されることのない自分を月見草にたとえたのは有名な話だが、引退後は解説者として「野村スコープ」を発案し、スワローズの監督になってからは、万年Bクラスだったチームを9年で4度のリーグ優勝、3度の日本一へ導くなど、その確かな手腕が注目を集め、このあたりで長嶋とは立場が逆転したと思う。もっとも本人には僻み根性が骨の髄まで染みついているのか、僻んでいることを芸風として確立させたということなのか、いつまでたっても僻み発言はやまなかったが……

長嶋は2004年(68歳)に脳梗塞を患ってからはあまり表に出ることはなくなっていたが、野村は2009年(74歳)まで監督業を続け、監督をやめた後もずっと解説者として重宝がられていた。てっきり長嶋より長生きすると思ったが、2017年12月に沙知代が死んでからの老け込み具合は痛々しいほどで、結局元気が戻らなかったのだろう。

沙知代のことは本当に好きで、また頼りにしていたようだが、僕は沙知代が大嫌いだ。一人の人間としてもどうかと思うが、彼女が野村をダメにしたと思っている。同時に、野村がイーグルスの監督をやめたあと、自分を監督に迎えるチームはないか、と冗談とも本気ともつかないようなことをあちこちで発言していたが、それを聞くたびに、まずは自分の嫁を監督しろよ……と思ったりもしていた。

高校卒業後24年間所属し、最後は監督まで務めた南海ホークスを辞めた、というか辞めさせられたのは、沙知代が理由だ。ダブル不倫状況で同棲し子まで成したこと、その沙知代がエラーをした選手に直接文句を言ったりするようなことがあったため、公私混同を理由に解任されたのだ。

スワローズの監督を辞めたのは、タイガースから招聘されたからだが、沙知代の球団やチームへの干渉ぶりはすさまじく、多くの球団職員や選手が辟易しているという話はよく聞いた。成績がよかったため表沙汰にしにくく、我慢を強いられていたようだが、本人が辞めると言わなくても、遠からず退団させられていただろうという話も聞いた。

タイガースの監督を辞めたのは、沙知代が脱税容疑で逮捕されたから。まあ、それがなくても三年連続最下位では続けられなかっただろうとは思うが……

言い出したらキリがないが、こんな女に引っかかっていなければ野村はもう少しましな野球人生が歩めたのではないかと自分は思うのだが、野村にしてみれば、沙知代と出会ったことが自分にとって最高の人生だったのかも知れない。