児玉清さんを偲ぶ

22日、テレビ朝日の「アタック25」の放送枠で、児玉清さんの追悼番組が放映された。

いろいろなドラマに出演された児玉さん(他局のドラマもちゃんと流した。エライ!)、児玉さんを偲ぶ声として、福山雅治石坂浩二を呼び、後半は「アタック25」の歴史と児玉語録。短い時間だったけどなかなか充実した内容だった。

アタック25」では、回答者が回答する時は回答者がテレビには映るため、児玉さんは常に声だけである。が、今回は児玉さんを映したので、回答者が正解した時、間違った時の児玉さんの表情が見られて、貴重な映像だった。また、「児玉語録といえばコレ」と言って、「アタックチャンス!」の場面が35年間でどう変わってきたかが流れた。当初は「アタックチャンス」と言ってこぶしを軽く突き出すだけ。それが90年代の後半から「大事なアタックチャンス」「大事な大事なアターックチャンス」とやや大げさな言い回しになり、それに比例するように、突き出したこぶしをぶるぶる震わすようになった。貴重な歴史だ。

石坂浩二が声を詰まらせ、「………………、あれだけもののよくわかった方が、……ご自分の病気だけは……なぜ……わからなかったのかと……」と語ったのが印象的だった。石坂の言い方からすると、体調の悪い自覚はあったのに病院に行かなかったということだろうか?

浦川泰幸が、「児玉さんは最後までアタック25のことを気にかけていらっしゃいました」と話していたのが、ふと気になった。

スタッフがお見舞いに行けば、当然番組の話題になっただろう。それをわざわざ伝えたのは、視聴者に対する配慮であり、一種のテンプレートのようなものだろう。別に、死の間際まで「アタック25……アタック25……」とうわごとを繰り返していたわけではあるまい。

「仕事」として考えると、個人に依存する度合いが強いのは褒められたことではない。一般には、何らかの理由で特定の人間が抜けても問題なく業務が進むような体制を組んでおくことが推奨される。「俺がいないとあのプロジェクトは成り立たないんだよ」というのは、本人はいい気分かも知れないが、マネジメントとしてはよくないということになる。

病気が軽くて、すぐに復帰できると本人が考えていたのであれば別だが、深刻な病気で長くかかりそうだと悟った時に、スタッフは「児玉さんがいなくても心配ありません」、児玉さんは「僕は番組のことは忘れて療養に専念する」とお互いに言い切れるのが理想的な関係だということになる(もちろんこれは体制上の話であって、口にするときは「あなたがいないと困りますよ」「いつまでも気にしていますよ」と言うのが大人の対応である)。

とはいえ、それは僕らがやっているような通常の業務であり、テレビ番組の司会のような仕事は全く別かも知れない。「アタック25」は、確かにルールもよくできているが、児玉さんの人柄あってこそ長寿番組になったのは間違いないだろう。浦川泰幸氏の司会で番組が継続されることになったのはとりあえず朗報だが、僕らは浦川氏のうしろに常に児玉さんの影を見てしまうだろう。

追悼番組の最後は、あの「ラストコール!」の掛け声で終わった。*1

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*1:アタック25」は、回答者がクイズに正解するたびにパネルを一枚指定し、25枚のパネルを埋めていく。最初のパネルだけは13と決まっており、児玉さんはいちいち聞かずに「13番に青が入って今週のアタック25が始まります」のように進めるが、それ以外は(たとえルール上指定できるパネルが一箇所しかなくても)必ず「白の方、何番!?」と聞く。ただし最後の一枚だけは「では赤の方、ラストコール!」だった。この掛け声を聞くと、パネルを取ったり取られたりもこれで終わりだなあ、とちょっと感慨に耽ったものである。