今回の「とりぱん」は歴史に残る傑作/先々・週のモーニング(4/14:20号)

ピアノの森」(一色まこと)連載再開。パン・ウェイは親心か謀略か、出番を最終日にずらされてしまった。一方、会場ではトップのソフィが演奏を始めていた。

「老人賭博」(松尾スズキすぎむらしんいち)、老優語る。座はシーンとなって聞き入るが、海馬の「こうしてじいさんの話を聞いているけど、決して今目の前にいるじいさんと会話しているわけじゃないだろ? じいさんの記憶のスライドショーを見せられているだけじゃない」という批判は強烈。耳が痛い。言わんとすることはわかるけど、人間そうそういつも前向きに生きていられるわけじゃなし。年を取ればなおさら。自然にこういう考え方のできる海馬は、思っているよりはるかに大物なのかも知れない。

とりぱん」(とりのなん子)、東日本大震災体験手記・後編。自分の苦労を敢えて語らず、自然の厳しさに思いを馳せ、「私はまた普通の日常を描いていこう」と決意する。素晴らしい。素晴らしい、という陳腐な言葉が恥ずかしく思えるほど。

グラゼニ」(森高夕次、アダチケイジ)、野球漫画には点が甘いというのもあるけど、いいねえ。週刊化歓迎。惜しむらくは、野球漫画である以上、野球をしている瞬間、投手なら投げたところ、打者なら打った瞬間、そこはカッコよく決めてほしい。凡田が三振を取るタマを投げた瞬間が、どうもカッコよくない。雪雄がサヨナラホームランを打った瞬間もだ。そのあたりが今後の課題だな。

「僕はビートルズ」(藤井哲夫、かわぐちかいじ)、マキさんはイギリスのプロモーターやレコード会社の人と(恐らくは英語で)ガンガン交渉をしている。こういうことのできる日本人は今でもそう多くはないと思うが、当時は極めて珍しかったのではないか。ファブ・フォーが国際的なバンドになり得るとしたら、彼らの(ビートルズの)楽曲うんぬんより、マキさんの存在が大きい。マコトはマキさんのような稀有な存在と出会えた僥倖を、もう少し感謝した方がいい。

デラシネマ」(星野泰視)、彼らは満州出身なのね。「約束」ってなんだろう? 映画界で成功しよう、というだけではなさそうだが。火傷の謎もあるし。

鬼灯の冷徹」(江口夏実)、鬼灯の怒りは、指名手配犯を捕らえようとしてのものか、自分よりいい男だと言われたからか。

「黒の陽光」(竹澤輝)、「リビドー」が昨年12月22日号に掲載された新人。「私は人間じゃない」に続き、新人枠での掲載。

島耕作」(弘兼憲史)、原発賛成派と反対派が誌上討論。盲目的な反対はいい結果を生まないので、討論すること自体はいいことなのだが、前提条件がおかしい。賛成論者が「原発はコストが安い」という。100万kWの電力供給にかかるコストは、風力だと1兆円、太陽光だと6兆円、水力は天文学的数字、火力は一基作るのに10年以上かかるとし、原発は3000億で済むという。なにが3000億だ。今回の福島原発の賠償金だけでも何兆円もかかるといわれ、そのお金が東電にはなくて国に出させようとしているわけだが、そういうのだって全部コストとしてカウントすべきことだろう。仮にこれから新規で原発を作るとしたら、安全性の基準は遥かに厳しくなるはずで、設置コストもこんなもので済むはずがない。これは、「今までは一基3000億円で作っていました(が、コスト重視の杜撰な作り方だったために、今回のような事件が起きてしまいました)」ということでしかないのではないか。

弘兼憲史原発推進派なのはよくわかるし、そういう意見自体が間違っているとは言わないが、根拠としているのがこんな杜撰な数字ではね。とりのなん子の爪の垢でも煎じて飲むがよい。

特上カバチ!」(田島隆東風孝広)、DNA鑑定の場面に新人がやってくるということは、親子のDNAが違いました! でもそれは鑑定のミスでした! というフラグでしょうか?

とりぱん(10) (ワイドKC)

とりぱん(10) (ワイドKC)