なぜ先輩は教えたがるのか

一年くらい前にネットで話題になった話なので、今さら感もあるが、古来、繰り返し言われ続けてきた話題という気がしなくもない。わけあってちょっと気になり、読み返している。

teruyastarさんの書いた、ひでみさんの記事へのフォロー記事は少々ピントがずれている気がしなくもないが、両者の整合性はともかく、似たようなテーマで書かれたふたつの記事として並べてみる。どちらも示唆的で考えさせられることが多い。誰しも、ある年齢を過ぎると、デキのよくない後輩や部下といかに付き合うか、ということに頭を悩まされることが多くなるから、気になるテーマということだろう。

ネット検索は下手に使うと壮大な時間の無駄になるとか、新人は何を聞いたらいいのかわからないから質問できない、的確な質問ができる人はある程度わかっている人、とか、新人を育てるインセンティブとか、いろいろな論点があって、ひとつひとつ言い出すときりがないのだが、両方のエントリをざっと読んで今回一番感じたのは、なぜ先輩は教えたがるのかだ。

それに関してはひでみさんが「仕事でやっているかぎりは、少しでも効率的に覚える義務が発生します」と書いていて、これ自体はその通りなんだろうけど、上司や先輩に訊くのが効率的かというと必ずしもそうじゃないんじゃないかなあと思うのだ。

それは、訊けば5分で済むところを、一人で1時間も2時間も悩むのは、一見時間の無駄に見える。でも、そうしてたどりついた結論は、脳裏に焼き付いて離れない。が、人に訊いて簡単に得られた知識は、簡単に消え去る。似たようなことがあったら、また訊かないとわからない、ということになりがちのような気がする。

仕事なんだから成果物が重要であり、5分でできるやり方があるならその方法を採用しなさい、というのなら、同じようなことが起きたら常に上司に訊いて済ます、というやり方を許容するしかない。が、「なんで訊かないの?」と言う人は、同じ質問を繰り返すと得てして機嫌が悪くなり、「それ、この間も説明したよね。なんで一回でわからないの?」と言いそうである。

現在の僕が、ある程度仕事ができる人間であると言ってよいのかどうかは難しいが、少なくとも20年前に比べれは成長していることは間違いないだろう。それで、成長できた要因はどういう点にあるかというと、節目節目で「失敗をさせてもらえた」ことが大きかったと思っている。

こちらは失敗しようとして失敗するわけではなく、絶対失敗はできないと細心の注意を払ってコトに臨むのだが、どうしても失敗することがある。お客様に迷惑をかけ、会社には損害を与え、恥ずかしいやら申し訳ないやらで激しい自己嫌悪に陥るわけだが、だからこそ、二度と同じ失敗はできないと強く思うし、うまくいった時の喜びは何物にも代えがたいものがあり、自信にもつながった。

「なんで失敗する前に、これでいいかどうか訊きにこないんだ!」などという上司ではなかったことに、深く感謝している。仮に事細かにレビューを受け、失敗しないようなさまざまなアドバイスをいただきつつ仕事を進めていたら、恐らく何も身につかなかっただろう。