ホワイト・アルバムの歌詞

アルバムごとの変化を改めて考えた時、「ラバー・ソウル」から「ホワイト・アルバム」へ飛んで驚き、理解不能に感じたのは、サウンド以上に歌詞の内容だったのではないか。

ひとつひとつつぶさに検証したわけではないが、「ラバー・ソウル」までは基本的に全部ラブ・ソングだった。"Help"は初めて内面の苦悩を歌ったといわれるが、Help me.と呼びかけているのは恋人に対してであろうし、"In My Life"が人生に思いを馳せたといっても、結局「生涯を通じてあなたを愛する」と言っているわけだし、せいぜいひねって、「ノルウエーの森」でゆきずりの恋について歌っている程度。

それが「ホワイト・アルバム」では、いきなり轟音とともに「ソ連へ帰る」と言い(はぁ、ソ連?)、"Dear Prudence" も「遊ぼうよ」とは言っているけど全然愛情をこめている風ではないし、三曲目はStrawberry fieldsとかLady Madonnaとか他の曲のタイトルが散りばめられているかと思えば、「セイウチはポール」などといきなりメンバーの名前が出てくるし、やっと四曲目でおなじみの「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」が登場したかと思えば(この歌は子供の頃フォーリーブスによるカバーが「NHKみんなの歌」で歌われたため、それで知っていた)、気味の悪い笑い声がかぶるので、何かと思ってよくよく読むと、「女に喰わせてもらえば人生は楽でいいネ!」というヒモ礼賛の歌だったり……。

解説書を紐解くと、こうした「おや?」と思う部分はなんでもかんでもマリファナと結び付けた解釈がなされていて、それも「ひえーっ」と感じるひとつの理由だった。発売当初はそうではなかったはずだが、ビートルズのメンバーが「リボルバー」の制作時期からマリファナLSDをやっていたことが明らかになってから、すべてがマリファナに結び付けて解釈されるようになり、僕がビートルズを聴き始めたのがまさにそういう時期だったのだ。

時代を経て、今ではすべてをマリファナに結び付けるのはおかしいという考え方が主流になり、近年の資料ではマリファナの影響はそう強くは書かれていないはずである。時代は変わった。

もっとも、時代が経ってからの方が、研究が進み、真実に近くなるかというと、必ずしもそうではない。今回のリマスター盤リリースの際にジョージ・マーティンが語ったため、改めてあちこちで取り上げられたエピソードに、初めてのレコーディング・セッションのあと、マーティンが彼らに「何か気に入らない点があったら遠慮なく言ってごらん」と訊いたらジョージが「あなたのネクタイが気に入らない!」と答えたやりとりがある。

このジョージの機転の利いたセリフで一気にみんなの緊張が解け、座が和んだのですよ、とマーティンは言うのだが、当時、というのは1960年代後期から70年代にリリースされた書籍などでは、このジョージのひとことに他のメンバーは真っ青になり、「冗談を言っていい相手かどうか、考えろ!」と詰め寄ったとされている。マーティンも今や80を越え、ビートルズのことはすべてがいい思い出だろう。ジョージの生意気な発言だって、ニコニコと笑って話せるだろう。少なくともホワイト・アルバムのレコーディングで苦労したことに比べれば。でも彼自身が35歳と若かった頃、デビュー前の10代の若造にこんな口のきき方をされて、本当に「カチン」とこなかったのかどうか。僕はこれは当時の解説の方が正しいと思っている。