ジョニーよ永遠に

マリーンズのジョニーこと黒木知宏が今期限りで引退することになった。

33歳。そんなに若かったのか? とまず驚いた。ここ数年は怪我で満足な働きができなかったとはいえ、何もその年で引退しなくても……もう少し待ってやれなかったのか、と残念だが、マリーンズを自由契約になったあと、オファーする球団がなかったのだから仕方ない。

随分長い間マリーンズのエースとして活躍していた気がしたが、社会人経験者である。プロ生活13年(実働11年)、しかし肩痛で2002年、2003年と棒に振った後、一軍復帰してからの4年間での登板は16試合で投球回は61、3勝4敗1セーブだから、一軍選手として輝いていたのは1995年〜2001年の7年間だということになる。

プロで7年活躍し、タイトルもとり、オリンピックにも出場したとなると、堂々たる一流選手だが、そうした選手にして33歳の若さで野球界を抛り出される。一般企業なら、ようやく一人前として世間に認知されようという年齢だ。プロとは厳しいものだ。

黒木というと、1998年7月7日の熱投を思い出す人が多いのではないだろうか。チーム16連敗のあとを受けて先発。2点リードで9回二死までこぎつけ、ようやく連敗脱出かと思われた矢先に同点2ランを浴びて降板。マリーンズは延長でサヨナラ負けを喫し、プロ野球新記録の17連敗を達成してしまうのだが、人目をはばからず号泣する黒木の姿はテレビで繰り返し放映され、皮肉なことに、これで全国区の選手となった。(なおマリーンズは翌日も負け、連敗記録を更新した。)

この年、黒木は最多勝に最高勝率のタイトルを獲得し、防御率も2位と、リーグを代表する投手となった……が、みんなが記憶しているのは負けたところであった。

僕が印象に残っているのは1999年である。4月21日に、この年デビューした松坂大輔と投げあった。松坂も2失点と好投したが、黒木はライオンズをゼロに抑え、先輩の貫禄を見せつけた。試合後「リベンジします」と宣言した松坂と、一週間後の4月27日に再び投げ合うことになる。黒木も1失点と文句なしの投球だったものの、松坂はなんと初完封を演じ、見事にリベンジを果たした。この「リベンジ」はこの年の流行語大賞ともなるのだが……

27日の試合後、黒木は次のように語った。

前回の対戦後、松坂君は末恐ろしいと言ったけど、既に恐ろしい。

実に素晴らしいセリフである。それなのにこのセリフを呟く場面は、その後テレビで放映された様子はなく、記事に引用されたのも目にした覚えがないから、ここで記録しておこう。まあ、印象に残っている試合が負け試合ばかりというのもアレだけれども。