稲尾和久氏は短命ではない

稲尾氏が亡くなられたあと、いくつかの新聞の追悼記事を読んでみたが、エピソードには事欠かない人で、それぞれを堪能することができた。ほとんど知らないことはなかったが、昨年のプロ入団50周年の式典で、王貞治氏が、「現役時代にひとつだけ悔いがあるとすれば、稲尾さんから1本もホームランを打てなかったことです」と挨拶した……というのは知らなかった。

ところで、どの記事も「酷使のため短命に終わる。短いながらもチームを何度も日本一に導くなど輝いた野球人生」のようなトーンでまとめられているのが気になった。「輝いた野球人生」はまさにその通りだろうが、「酷使のため短命」は非常に疑問がある。

デビューした1956年から1963年までの8年間で獅子奮迅の働きをしたが、1964年は肩を壊してゼロ勝に終わり、その後はぱっとしないまま引退、というイメージなのかも知れない。が、1965年以降も5年間で226試合に登板し(年平均45試合)、822 2/3イニングを投げ(年平均165回)、42勝(年平均8勝)43敗、総自責点は222、防御率は2.43。現在の基準なら十分一流投手である。

実働14年。同時期に活躍した投手をみると、同じ西鉄の先輩・河村英文は、実働11年で113勝83敗。杉浦忠(南海)は13年で187勝106敗。藤田元司(巨人)は8年で119勝88敗。14年という選手寿命は当時としてはかなり長い方である。通算756登板は史上7位、通算3599イニングは史上10位、通算276勝は史上8位、通算2574奪三振は史上8位、そして通算防御率1.98は史上3位の記録である。これを短命とは言わないだろう。

カネやんこと金田正一が実働20年で400勝を挙げているのと比較しているのかも知れないが、金田はペナントレースでも日本シリーズでもMVPを取っていない。つまり、自らの力で日本一をもぎとったと実感したことは一度もないことになる。稲尾はシーズンMVPを二度、シリーズMVPを一度、受賞している。

稲尾を短命とするなら、金田と比較する必要がある。セ・パを代表する投手であり、左右を代表する投手でもあるが、その野球人生は対照的だ。しかし、金田との比較記事は見たことがない。何かとうるさい金田天皇の機嫌を損ねるようなことはしたくない、ということだろうか。追悼記事だから、稲尾を持ち上げたいが、稲尾を持ち上げれば金田を下げることになる可能性があるから。

上で名前を挙げた方は、金田以外はいずれも鬼籍に入っている。河村は71歳で、杉浦は66歳で、藤田は74歳で亡くなられてた。合掌。