好きな作家と筒井康隆

上記の記事を読んで思い出したことがある。

1984年のことだから23年ほど前になるが、新潮文庫が「筒井康隆の本」というフェアを行なったことがある。その時のリーフレットに書かれていた糸井重里氏によるコピーがあまりにも強烈で、今に至るも記憶から離れないのだ。

就職試験の面接で、支持する政党や尊敬する人物をたずねる人事担当者がおられる。あれは、時間の無駄だからやめたほうがいい。そのかわり「筒井康隆なんか、好き?」と聞くのだ。読んだことないヒトは問題外。嫌いと答えたら、センスなし。大好きッと叫んだ人間は、危険なヤツなので落とした方がよい。落ちろ落ちろ、みんな落ちろ。

解説するのも野暮だが、敢えて試みる。面接で支持政党や尊敬する人物を聞くのはよくない、というのはそんなものかな、と思って読み始める。理由は定かではないが、答える立場からすれば、たいていの人は政党や人物を聞かれるより作家の方が答えやすいだろう。ところが、筒井康隆を知らなくてもダメ、嫌いでもダメ、好きでもダメとあってずっこけるわけだ。畳み掛けるような最後の一文が効いている。これがなくてもオチが付いているが、これがあることで強烈に倍化されることになる。いつの間にか採用試験の話になってしまっており、そういう捻じ曲がり方も面白い。

ところが、よくよく考えてみると、この小文において、作家の名前が筒井康隆以外の誰を持ってきてもオチが成立しないことに気づく。筒井康隆を知らないのは問題外。そりゃそうだろう。嫌いな人はセンスなし。それもそうだろう。そして筒井康隆を好きだなんて危険人物だ、というのも、全くもってその通りと、筒井康隆を知っている人間は皆思うのではないか。中島らもでも、恩田陸でも、このレトリックは成り立たない。