「グリーングリーン」の謎

「green green」(土手の上から、2006/04/02)経由で面白い話題に出会った。

グリーングリーン」は懐かしい歌である。小学生の頃よく歌った。やや不自然な歌詞(曲にうまく乗っていない)とタイトルから、原曲は海外のものだろうと漠然と考えていたが、元の歌詞は日本語とは全然別のものだとは。まあ、よくある話ではあるが。

好きでよく歌っていた友人がいた。彼とは小学校の5〜6年生の時に同じクラスだった。だから僕が知ったのはその時である。「あやしいわーるど本店@へたれ支店」に、作詞された時期は1970年代か? という疑問が呈されているが、ちょっと調べてみると、NHKみんなの歌に取り上げられたのが1967年。なので、少なくともそれ以前ということになる。かなり古い歌である。

日本語の歌詞は反戦歌だという噂がある……と「放置新聞」にある。そういう説があるのを初めて知った。が、それは深読みのし過ぎではないだろうか。ここで歌われているのは父親の「死」であって、戦争に限定されているわけではない。親の死はかなしいことだが、古い世代からバトンを渡されるということは、喜ばしいことでもある。そのことの本当の意味を知ったのは、自分に子供ができてから……。そう素直に解釈すればいいのではないか。

作詞した片岡輝氏は、日本にはお父さんのことを歌ったうたが少ない……という考えから、こうした歌詞を作ったらしい。僕がこの歌を知った時は、「小さな木の実」と同系列の歌だなあ、と思ったことを覚えている。上記の解釈は、僕にとって自然だった。

「小さな木の実」(作詞:海野洋司)は、NHKみんなの歌で知ったのだが、悲しく切ない歌で、とても好きだった。ちょっとネットで検索すれば歌詞はすぐわかるから、ここでは記さない。ここでは父親の死は明示されていないが、パパの言葉を木の実がささやくのだから、本人はいないのだろう。

「小さな木の実」は、父親がいなくても強く生きていこうと決意する少年の話。頼もしいが、切ない。「グリーングリーン」は、次世代へバトンを渡すところまで描かれていて、悲しいだけの話にはなっていない。いずれにしても、幼い頃というわけではないが、比較的若い時期に父親を亡くした僕は、この手の詩に弱い。