コンピュータ

マイニチ(M子の思い出)

M子と付き合うようになったきっかけはなんだったんだろう。以前から、美人である上、頭の回転も速く気立てもいいと評判であったが、自分には高嶺の花だという思いもあったし、だいたい世間で評判がいい人ほど、実際に付き合って見るとヤな奴だったりするんだ…

MacOSの歴史 (7)

1992年の漢字Talk 7.1以来、日本でMacユーザーが爆発的に増えたような気がする。この頃、ネットの書き込みなどで、KT(漢字Talk)7以降のユーザーに対し、KT6以前からのMacユーザーが威張ったり莫迦にしたりといった態度を取ることがよくあった。別にPlus時…

MacOSの歴史 (6)

1990年に登場したSystem 7.0は、パソコン史上長く記憶に留められるべきOSだ。その最大の特長はエイリアスとドラッグ・アンド・ドロップだろう。PC/ATユーザーがこの画期的な機能を使うためには、5年後に登場するWindows 95を待たなければいけない。とはいえ…

MacOSの歴史 (5)

漢字Talk 6.0では、日本語はソフト的に実現されており、ハードウエアは日米共通になった。これを見た日本IBMは「そういう方法があったのか」と悟ってDOS/V(IBM PC-DOS 4.0/V)を作り、以来、AT互換機が日本を席捲することになる。――「Macintosh' Tips」(19…

MacOSの歴史 (4)

1989年のSystem 6.0からMultiFinder(マルチファインダー)がサポートされ、複数のアプリケーションを同時に起動できるようになった。実は、MacOSはSystem 1.0の時からアプリケーションの起動中にDA(ディスク・アクセサリー)と呼ばれるプログラムを起動す…

MacOSの歴史 (3)

1988年リリースのSystem 5.0の日本語版である漢字Talk 2.0は高い評価を得たが、これは1.xがあまりにも劣悪だったからという事情もある。フォントはOsakaのほかにKyoto、Nara、Sapporoなどがあったという。――「Macintosh' Tips」(1997年)より

MacOSの歴史 (2)

1986年1月17日に日米同時発表されたPlusに搭載されていたのがSystem 4.0および漢字Talk 1.0。この年から本格的にMacintoshが日本に紹介されたのである。漢字フォントはROMとして本体に内蔵された。つまり、当時はMacintoshに(ハードウエアとして)日本語版…

MacOSの歴史 (1)

1984年のMacOS(System 1.0)は、WYSIWIGに貫かれた画期的なGUIが採用され、標準インターフェイスとして確立、今日に受け継がれている。システムフォルダが1DDのFD(400KB)一枚に収まっていたというからオドロキ。――「Macintosh' Tips」(1997年)より

MacintoshがIntel insideに

いささか古いニュースだがメモしておくのを忘れたので、ここに。2005年6月7日の夕刊より。米AppleのCEOスティーブ・ジョブスは、MacintoshのCPUをIBMからIntelに転換することを発表した。時期は2006年から2007年にかけて。理由はPowerPC G5の動作周波数が3GH…