iPhoneケースを買った

会社支給のiPhoneのケースが割れてしまい、使い物にならなくなった。来月には返却しなければいけないので、このままでもいいかと思ったが、ケースなしのiPhone本体は滑りやすく、持っているとすぐに落としそうになる。これはケースをつけないとまずい。仕方がないので買いに行く。

電器屋へ行く前に、もしかしてあったりしないかしらと100円ショップへ行ったら、あった。本体の周囲を裏側をカバーするゴム製のものが二種類。これしかなくて済みませんと言われたが、あっただけでめっけもの。すぐに買い求めた。

これまで使っていたものは、手帳型の、開け閉めができるタイプだったが、こちらの方が圧倒的に軽い。そしてかさばらないがゆえにシャツの胸ポケットにも入る。この差は大きい。ゴムの質も悪くない。これだけのものが100円で売られているのか。

爪楊枝入れを買った

爪楊枝は、料理や掃除など、日常生活に幅広く使える便利アイテムである。しかも安い。たいへんありがたいのであるが、あの爪楊枝が入っている薄いプラスチックのケースは、いったん開けると、閉めるのがたいへんやりにくいのだ。うまくふたをするのにとても時間がかかる。苦労した人は多いのではないか。といって、ふたを開けたままでは埃が入って不衛生である。

50数年、この問題に悩まされてきたのだが、ホームセンターに行った時に、ふと、世の中には爪楊枝入れというものがあるのではないかと思い、訊いてみたところ、果たして存在するのだった。速攻で購入。

軟十本しか入らないから、小出しにする必要はあるが、小出しにしたところから一本、二本と使う時には、ふたを閉めることに悩まされない。すっと出して終わりである。これまでの何十年かの苦労はなんだったんだ!

斎藤佑樹引退

斎藤佑樹が引退を表明した。

プロ野球選手としては特筆すべきものは何もない。そこそこの才能はあり、それなりに努力はしたのだろうが、花開かなかったものは仕方がない。本人には残念でしたねというぐらいしか、かける言葉を思いつかない。

それよりも、2015~2019年の5年間でわずかに2勝(10敗)、2018、2019年はゼロ勝、2020、2021年は一軍登板なし、このような選手をなぜ球団は11年も保有していたのか、である。

斎藤は女性、特に主婦層に人気があった。食品メーカーである日本ハムにとっては貴重な存在だったという説がある。そういうこともあるかも知れないが、それも、ある程度の成績が残せての話。もし「それだけ」を理由に契約を続けていたのだとしたら、プロの球団経営としては問題だろう。こうした姿勢は、近年の低迷ぶりや中田のような問題を起こしてしまう土壌と無関係だとは思えない。

白鵬引退

27日に白鵬の引退を告げる号外が出た。もう36歳であり、現役が長くはないのは明らかだが、秋場所は全休したものの名古屋場所は全勝優勝をしていたから、まだ早いのではと驚いた。

しかし正式な発表がなく、協会側と何やらもめている様子。一応、29日に引退届が提出され、30日に引退と年寄襲名が承認されて正式発表となったが、誓約書を提出させるなど、ゴタゴタがあった。膝の具合が悪いのも事実だろうが、こうした協会側の対応に心が折れたのではないか。

通算成績は1187勝247敗253休、勝率0.828。幕内成績は899勝129敗23休、勝率0.875。

通算勝星 1187勝 歴代一位
幕内勝星 899勝 歴代一位
連勝記録 63連勝 歴代二位・一位は双葉山の69連勝
連続優勝 7連覇 歴代一位タイ・朝青龍も7連覇
年間最多勝 10回 歴代一位
年間勝星 86勝 歴代一位、2009年と2010年に連続して記録
幕内最高優勝 45回 歴代一位
全勝優勝 16回 歴代一位

白鵬は、僕が見てきた中では最も勝利への執念を持っていて、さすがは横綱だと感心していた。しかし、品がない、休みが多いなどと常に批判され続けて来た。それが僕には全く理解できない。

大相撲というのは神事あるいは芸能なのか、それともスポーツなのか。白鵬を批判する人は恐らくその人の中でこれに対する答えがあるのだろうが、説得力のある文章で説明したものを、少なくとも自分は読んだことがない。

神事や芸能なら品も格も必要だろうが、だとしたら筋書きがあるのは当たり前で、一時期騒がれた八百長問題など大笑いだということになる。そうではなく、スポーツであり、真剣勝負だとするなら、ルールで認められたことは何でもやって当然で、それを批判するのはお門違いである。

もうひとつ、日本人だけで立ちいかずモンゴルなど外国から多数の人材を引っ張ってきてやっと興行を成り立たせているにも関わらず、二言目には「日本人じゃないから心がわからない」などと言い出すのはひどい話だ。そもそも帰化しなければ年寄り襲名を認めないなどの差別主義がなぜ批判されないのか、そちらの方が不思議である。

休みに関してはもっとわからない。これまでもケガをしているであろうに無理して出場し寿命を縮めた力士は何人もいたが、適度に休みを取ることによってコンディションを保ち、出場した時は常に優勝を争えることを証明したのだ。立派ではないか。他の力士も大いに見習うべきだ。いい加減に、体調が悪くても出た人が偉い、という価値観から脱却してほしいと思う。

さいとう・たかを亡くなる

2021年9月24日、漫画家のさいとう・たかを膵臓癌により逝去。84歳。29日に小学館のサイト「ビッグコミックBROS」にて公表された。

これによると、今後も「ゴルゴ13」の連載は続くという。それができる体制をさいとう・たかをが生前作ってきたということだ。

これは前例があって、石ノ森章太郎の「HOTEL」や青柳祐介の「まぐろ土佐船」は作者逝去のあともしばらく作品は続いていた(どれも「ビッグコミック」掲載作品だなあ。偶然とは思えない)。

プロダクションシステムを最初に確立したのはさいとうプロだそうで、そういう意味では成り行きを注目したい。下種な話だが、スタッフにしても生活があるわけだから、社長が死んで会社は倒産、明日から失業者です、と言われても困るだろう。プロダクションとしては仕事を続け、スタッフに給料を払っていきたい。出版社としても、看板作品をみすみす失いたくはないから、続く限りは連載を続けたい。もちろん読者としても、続きが読みたいから、終わってほしくない。

ただ、そううまくいくものかどうか。今からケチをつけても仕方がないので、成り行きを見守りたい。

風「ファーストアルバム」

かぐや姫を初めてちゃんと聴いたのは「三階建ての詩」(1974年3月リリース)だ。シングル曲としては「赤ちょうちん」が収録されている。これもいい曲だが、特に心惹かれたのは正やんの「南風知らん顔」、パンダさんの「君がよければ」、こうせつさんの「雨に消えたほほえみ」などだった。「22才の別れ」や「なごり雪」は、悪くはないが、特別印象には残らなかった。

それから約一年後、「22才の別れ」(1975年2月)が爆発的にヒットする。ラジオでも有線放送でもこの曲を耳にしない日はない、という日々が続いた。

かぐや姫がシングルカットしたのかと思ったら、「風」という初めて聞くフォークデュオが歌っているという。その声は確かに正やんのものだし、イントロもかぐや姫のものに似ているといえば似ているが、全体の雰囲気は違う。風の「22才の別れ」は本当にいい曲で、何度聞いても飽きないし、魂が揺さぶられる。改めてかぐや姫の「22才の別れ」を聞いてみると、なんというか、イントロと間奏とエンディングだけチョット頑張りましたという感じで全体的に退屈なのだ。

調べてみると、かぐや姫版の編曲は瀬尾一三、風版は石川鷹彦が担当していた。これは曲の完成度の違いであり、瀬尾一三石川鷹彦との編曲家としての才能の違いだと思った。少しあとの話になるが、第二弾シングルの「あの唄はもう唄わないのですか」(1975年12月)も、シングル版は石川鷹彦、アルバム版は瀬尾一三が担当していて、明らかにシングル版の方がいい出来である。だから風は、これからはずっと石川鷹彦と組んでいけばいい、と思っていた。

「ファーストアルバム」(というタイトルのファーストアルバム)(1975年6月)は多くの人と同様、僕も待ち焦がれていた。とはいえ、乏しいお小遣いでは即買うというわけにはいかないから、友人の誰かが買うのを待って貸してもらうしかないのだが。そうしてようやく聞くことができたこのアルバムは、残念ながら、僕にとっては期待外れのものだった。

22才の別れ」はシングル盤を買ったため、これが収録されていないことに不満はなかったが、これに匹敵する名曲がゾロゾロ入っているのかと思っていたのに、どの曲も、悪くはないんだけどイマイチのように感じられたのだ。それは曲が悪いのではなくて、なぜか石川鷹彦を2曲しか起用せず、ほとんどの曲の編曲を瀬尾一三に任せたのが原因だ、と思った。

松任谷正隆も3曲担当している。松任谷はそれはそれで僕の好きなミュージシャンである。ただ風には合わない、違うのではないかと思った。*1

とはいえ、テープに録音して何度も聞き、後日、結局レコードも買って繰り返し聞くことになる。が、CDで買い直すことはしなかった。レコードプレイヤーはとっくの昔に処分してしまったし、レコードは残してあるが、仮にプレイヤーがあっても埃だらけで「音楽」は聴けないだろう。というわけで、もう40年以上もこのアルバムを聞くことはなかった。

大久保一久の訃報に接して、懐かしくなり、TouTubeを覗いたらアルバムをまとめてアップしている人がいた。合法だとはあまり思えないからリンクは貼らないが、聞かせていただいた。音質はあまりよくなかったが、当時の、レコードからカセットテープに落としてラジカセで聞いていた時はもっと悪かったはずだから、こんなものである。ひたすらに懐かしい。

改めて聴いてみると、瀬尾一三は悪くない。40数年前、なぜあれほど毛嫌いしたのかは謎である。

そして、若き日は正やんの曲ばかり注目していて、大久保一久はおまけぐらいにしか考えていなかったのだが、この年になると、「なんとなく」とか「ロンリネス」とか、大久保一久の曲の方が心に染みていく気がする。評価は変わる。好みも変わる。40年以上も経てば。

曲がB面に入るころから、涙が止まらなくなった。

*1:吉田拓郎も「今はまだ人生を語らず」(1974年12月)で松任谷正隆を起用していたが、これを聞いた時も、拓郎の曲調に松任谷は合わないのではないかと疑問に思ったものだ。

大久保一久亡くなる

2021年9月12日、風の大久保一久が亡くなられた。2008年に脳血管障害で倒れ、以後闘病生活を送っていたという。71歳。伊勢正三より年上だったことを初めて知った。

正やんの追悼で「風はまだ解散宣言をしていない」というのはいいセリフだと思った。ただ「再結成をしようとしていた矢先に」というのは失言。解散してないなら再結成もない。「活動を再開しようとしていた矢先に」と言うべきだった。

ファーストアルバムに収められた「東京1975」が好きだった。