かぐや姫を初めてちゃんと聴いたのは「三階建ての詩」(1974年3月リリース)だ。シングル曲としては「赤ちょうちん」が収録されている。これもいい曲だが、特に心惹かれたのは正やんの「南風知らん顔」、パンダさんの「君がよければ」、こうせつさんの「雨に消えたほほえみ」などだった。「22才の別れ」や「なごり雪」は、悪くはないが、特別印象には残らなかった。
それから約一年後、「22才の別れ」(1975年2月)が爆発的にヒットする。ラジオでも有線放送でもこの曲を耳にしない日はない、という日々が続いた。
かぐや姫がシングルカットしたのかと思ったら、「風」という初めて聞くフォークデュオが歌っているという。その声は確かに正やんのものだし、イントロもかぐや姫のものに似ているといえば似ているが、全体の雰囲気は違う。風の「22才の別れ」は本当にいい曲で、何度聞いても飽きないし、魂が揺さぶられる。改めてかぐや姫の「22才の別れ」を聞いてみると、なんというか、イントロと間奏とエンディングだけチョット頑張りましたという感じで全体的に退屈なのだ。
調べてみると、かぐや姫版の編曲は瀬尾一三、風版は石川鷹彦が担当していた。これは曲の完成度の違いであり、瀬尾一三と石川鷹彦との編曲家としての才能の違いだと思った。少しあとの話になるが、第二弾シングルの「あの唄はもう唄わないのですか」(1975年12月)も、シングル版は石川鷹彦、アルバム版は瀬尾一三が担当していて、明らかにシングル版の方がいい出来である。だから風は、これからはずっと石川鷹彦と組んでいけばいい、と思っていた。
「ファーストアルバム」(というタイトルのファーストアルバム)(1975年6月)は多くの人と同様、僕も待ち焦がれていた。とはいえ、乏しいお小遣いでは即買うというわけにはいかないから、友人の誰かが買うのを待って貸してもらうしかないのだが。そうしてようやく聞くことができたこのアルバムは、残念ながら、僕にとっては期待外れのものだった。
「22才の別れ」はシングル盤を買ったため、これが収録されていないことに不満はなかったが、これに匹敵する名曲がゾロゾロ入っているのかと思っていたのに、どの曲も、悪くはないんだけどイマイチのように感じられたのだ。それは曲が悪いのではなくて、なぜか石川鷹彦を2曲しか起用せず、ほとんどの曲の編曲を瀬尾一三に任せたのが原因だ、と思った。
松任谷正隆も3曲担当している。松任谷はそれはそれで僕の好きなミュージシャンである。ただ風には合わない、違うのではないかと思った。*1
とはいえ、テープに録音して何度も聞き、後日、結局レコードも買って繰り返し聞くことになる。が、CDで買い直すことはしなかった。レコードプレイヤーはとっくの昔に処分してしまったし、レコードは残してあるが、仮にプレイヤーがあっても埃だらけで「音楽」は聴けないだろう。というわけで、もう40年以上もこのアルバムを聞くことはなかった。
大久保一久の訃報に接して、懐かしくなり、TouTubeを覗いたらアルバムをまとめてアップしている人がいた。合法だとはあまり思えないからリンクは貼らないが、聞かせていただいた。音質はあまりよくなかったが、当時の、レコードからカセットテープに落としてラジカセで聞いていた時はもっと悪かったはずだから、こんなものである。ひたすらに懐かしい。
改めて聴いてみると、瀬尾一三は悪くない。40数年前、なぜあれほど毛嫌いしたのかは謎である。
そして、若き日は正やんの曲ばかり注目していて、大久保一久はおまけぐらいにしか考えていなかったのだが、この年になると、「なんとなく」とか「ロンリネス」とか、大久保一久の曲の方が心に染みていく気がする。評価は変わる。好みも変わる。40年以上も経てば。
曲がB面に入るころから、涙が止まらなくなった。