大谷翔平が32号

大谷翔平が止まらない。先日31号を打ったと思ったら今朝は32号を放ち、日本人のメジャー記録である松井秀喜の31本を上回る新記録を樹立した。

春先から調子が良くて、本塁打ア・リーグトップ、いや両リーグでトップといっていた時は、それだってもちろん誰でもできることではないので、すげえなあと思いつつも、いつかは落ちる、いつまでもは続かないと思っていた。打者の調子には波があるし、他球団だってバカではない、徹底してマークしてくるだろうから、打てなくなる時が早晩くるだろう、と考えたわけだ。事実、一回はア・リーグトップの座も譲ったことがあった。

が、その後さらに調子を上げて本塁打を連発し、いまや無人の荒野を行くが如し。今年の大谷が松井の記録を抜くのは間違いないところだが、まさか前半戦で超えるとは思わなかった。日本人の最多本塁打(20本以上):

1 32 大谷翔平 2021
2 31 松井秀喜 2004
3 28 松井秀喜 2009
4 25 松井秀喜 2007
5 23 松井秀喜 2005
6 22 大谷翔平 2018
7 21 松井秀喜 2010

日本人で(NPBで)年間45本以上打った選手は、平成以降では松井秀喜松中信彦中村剛也山川穂高の4人しかいない。この松井が、メジャーでは毎年20本台の本塁打がやっとだったのだ。

恐ろしいのは、大谷は本塁打を打つだけでなく、走れば盗塁12(オールスター前に32本&12盗塁はメジャー記録だそうだ)、そして投手として13試合(66回)に投げ、4勝1敗、奪三振87、自責点26、防御率3.55とエース級の働きをしていることである。

大谷は日本でも22本しか打っていない。出場試合数が少なく、大事に育てられていた面もあるが、渡米して進化したのだ。

世の中は一向に収まらない新コロナや迷走するオリンピックの運営など、気の滅入るような話ばかりの中、大谷の活躍は本当に元気が出る。

追記

早く書かないと数字がどんどん変わってしまうぞとは思っていたが、案の定、7月10日に33号を打った。ゲレロ(ブルージェイズ)の28本に5本差をつけ、メジャートップを独走。オールスター前の33本は歴代8位の記録だそうだ。

松坂大輔の引退

7月7日、松坂大輔の引退の報が流れた。遅きに失した感はあるが、本人が納得するのにそれだけの時間が必要だったということだろう。イチローもそうだが、最近は一流選手の引き際が難しくなっている。

松坂は1999年に横浜高校を卒業してプロ入りし、一年目から大活躍。4月21日のマリーンズ戦で黒木知宏と投げ合い惜敗、試合後に「リベンジします」と宣言すると、4月27日のマリーンズ戦で再び黒木と投げ合って1-0でプロ初完封を記録。「リベンジ」が流行語になった……という話は有名だが、この時の黒木の「松坂くんは末恐ろしいというより既に恐ろしい」は名言だったと思う。ネットを探しても出てこないので、ここに記録しておく次第。

松坂は一年目から最多勝を獲得。資質ある投手が大学卒でプロ入りした場合、一年目から活躍してタイトルを総なめにするのは珍しくない(松坂と同じ年にプロ入りし、何かと比較された上原浩治は、一年目に最多勝利、最高勝率、最優秀防御率最多奪三振を獲得している)。高卒でプロ入りした場合は、桑田真澄のような伸び方が理想的だと思っている。桑田の一年目・二年目の成績:

年度 試合 勝利 敗戦 防御率
1986 15 2 1 5.14
1987 28 15 6 2.17

プロのレベル差を思い知らされるのが一年目。二年目でぐっと伸び、タイトル争いに絡んでくるような選手が一流になる(桑田は二年目で防御率のタイトルを獲得)。松坂は活躍が早過ぎて、一年目がキャリアハイにならなければよいがと余計な心配をしていたが、なんと三年連続最多勝を獲得するなど、順調に活躍を続けた。

日本でのキャリアハイは2006年だろう。17勝5敗、勝率.773、防御率2.13は、いずれもタイトルには届かなかったが、本人史上最高の数字である。その上この年は開幕前にWBCがあり、3戦3勝・防御率1.38(MVP獲得)。またポストシーズンでも1試合に投げ完封勝利を飾っている。これらをすべて足すと21勝5敗ということになる。

WBCは僕もテレビでじっくりと観戦したが、その結果、松坂は見ていてあまり楽しい投手ではないな、と思った。投球間隔が長く、四球も多い。リズムが悪いのである。対照的なのが上原浩治で、上原の投球はまさに「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」という感じで、リズミカルで引き込まれる。夜のスポーツニュースや翌朝の新聞で読む限りでは松坂はいい投手なのだが、生の松坂はあまり魅力的な投手ではないというのが僕の評価である。

高校3年生の時の夏の甲子園の決勝戦京都成章戦)は、自分にしては珍しく時間が取れて、テレビの前で観戦したのだが、眠気が襲ってきて居眠りをしてしまった。気付いたら試合が終わっていて、ノーヒットノーランだったことを知り、この歴史的場面を見逃したのかと残念に思ったことを覚えている。が、あとになって考えてみると、この時も投球が退屈だったんじゃないだろうか……

渡米後は、少なくとも数年間は大活躍だった。が、日本に戻ってきてからについては語るべきことは何もない。ホークスに三年在籍したが、二年目くらいで引退を表明すべきだった。以降は、これ以上晩節を汚してくれるなと思うばかりだった。ようやく決断できたことを褒め称えたいと思う。

大島康徳亡くなる

2021年6月30日、元プロ野球選手の大島康徳が大腸癌のため逝去。70歳。

数年前に癌にかかり手術を受けたことを公表しており、近年はげっそり痩せた写真も見ていたから、来るべきものが来たなという印象で驚きはしなかったが、現役時代を知っている野球選手が亡くなるのは初めてではないだろうか。いや、大杉勝男がいたか……大杉は47歳だったから死ぬのが早過ぎたが、大島の70歳も早いと言えば早いが、自分もそういう年齢になってきたのかということが感慨深い。

小林亜星亡くなる

2021年5月30日、作曲家の小林亜星心不全のため亡くなられた。88歳。

CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯に6000曲以上を残した。1976年「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。(Wikipedia

小林亜星の名前はよく承知していて、あの容姿がすぐ思い浮かぶ。作曲家であることは知っていたが、司会者や役者のイメージが強く、作曲家の方が余技なのかと思っていた。実は作曲家としてもべらぼうな実績のある人だった。今回のニュースで初めて知った。

YouTubeで作品を見ていて「日立の樹」(この木なんの木)も小林亜星の作曲であることを知り、かつ、作詞が伊藤アキラであることを知り、そういえば伊藤アキラはどうしているんだと調べて、同じ月に亡くなられていたことを知ったのだった。

狼少年ケン」(1963年)「キングコング」(1966年)は、古い歌だが、改めて聞いてみると、ドラムやベースのリズムが素晴らしい。はっぴいえんどサディスティック・ミカ・バンドどころか、ビートルズが来日すらしていない時代にこれだけの音楽を作っていたのは驚きだ。J-POPの歴史を語る際はこうした曲は無視されてしまうのだろうか?

伊藤アキラ亡くなる

2021年5月15日、作詞家の伊藤アキラが急性腎不全で亡くなられた。80歳。

売れっ子作詞家だったが、CMやアニメの主題歌などが多かったため、あまり一般にはその名が知られていない。が、僕は小学生の頃からこの名には強烈な印象があった。

ソルティ・シュガーの「走れコウタロー」という歌が大ヒットしたのは小学校の時だったが、小学5年生の時、懇意にしていた電気屋さん(ナショナル専門店(PanasonicではなくNationalである!))に「いる?」と言われてもらったのが「スヤスヤコウタロー」のソノシートであった。

ソノシートというのはペラペラのプラスチックでできたいわば安いレコードで、無料で配ったりするような音源を入れるのに当時よく使われたものだ。

「スヤスヤコウタロー」は「走れコウタロー」の替え歌だが、歌っているのはソルティ・シュガーその人であり、演奏もしっかりしていて(恐らく「走れコウタロー」と同じ音源ではないだろうか)、こんな高品質の曲をタダでもらってしまってよいのかと驚いたくらいだ。

歌詞の内容は、レースが終わって疲れ切ったコウタローらは静かに休んでいる、というもので、途中のセリフ部分を引用してみる(まだ覚えている。小学生の時に覚えたことは一生忘れない)。

えー、このたび、遅刻という問題につきまして、慎重に検討を重ねてまいりました結果、眠い時には寝て、みんな揃って遅刻しよう、という結論に達したのであります。

各場ゲートインから一斉にスタート、と思ったら全然姿を見せません。厩舎を覗けばあっと驚く大三元。「実はゆうべ飲みすぎまして」「ヒヒーン、覗くなんてエッチ、ゲヒ~ン」「頭イテーし、腹もイテーし」「田舎の母が出てきまして」各馬一斉に遅刻の理由を申し立てております。枕もとには遅刻できない無遅刻時計、ナショナルの「スヤスヤ」が置かれておりますが、にも関わらずこのありさま。各馬、再び眠り始めました。お聞きください、この高いびき。「ゴーッ」う~ん、人間らちっく。

これはナショナルの「スヤスヤ」という目覚まし時計の宣伝の歌なんですね。今風にいうとスヌーズ機能がついていたということだろう。年代は、ソルティーシュガーが歌っていたんだから、1970年か71年。スヌーズはかなり先進的な機能だったはず。松下電工も派手に宣伝したくてこんな企画も立てたということだろう。当時、家にレコードプレイヤーはあったけれど、童謡以外のレコードを持っていなかった自分は、この曲を何十回も何百回も聞いたものである。

この曲の作詞をしたのが伊藤アキラさんだったというわけだ。

後日、松本ちえこの「恋人試験」という曲がスマッシュヒットした時、その作詞が伊藤アキラだと知って、あの伊藤アキラさんか! と感慨深かった。「65点の人が好き」の部分が流行し、当時「流行語大賞」があったら絶対にノミネートされていたと思うが、テストであまりいい点を取れなかった時にこのフレーズを歌って自らを慰めるというか、開き直るのがお約束であった。しかし、歌詞の意味は違う。「知っているのにわざと間違える65点の人が好き」なのである。精一杯やって65点しか取れない人を好きだとは言っていないのだ。なかなか奥の深い詩なのである。

さらに時代は下って、1988年ごろだったと思うが、NIFTY-Serveというパソコン通信のあるフォーラムで、伊藤アキラさんをお見掛けしたことがある。パソコン通信では、普通は本名を名乗らず、ハンドル(ニックネーム)を使うのがお約束だが、氏は「伊藤アキラ」を名乗っておられた。

作詞家と気づいた人が「恋人試験は名曲でしたねー」などと話しかけている中、自分が、「あ、あのっ! 自分は『スヤスヤコウタロー』のソノシートを持っていますっっ!!」と言ったところ、「それは貴重です。ぜひ大事にお持ちください」とお返事をいただいたことを今でも覚えている。

伊藤アキラさん、いろいろ楽しませていただきありがとうございました。

三浦建太郎亡くなる

2021年5月6日、漫画家の三浦建太郎が急性大動脈解離のため逝去。54歳。20日白泉社のサイトで公表された。

自分の周囲でちょっとした騒ぎになっていて、どうやらファンがかなりいたようなのだが、実は僕は三浦建太郎という漫画家はこれまで知らなかった。「王狼伝」「ベルセルク」という作品も今回初めて聞いた。

僕は漫画を、質的にも量的にも、かなり読んでいる方だろうと思うのだが、知らない作品もまた多過ぎる。大前提としては、昔に比べてジャンルが格段に広くなり、媒体も増え、作品数も増えたということだが、

  • 書店やコンビニの店頭で雑誌も単行本も立ち読みができなくなった
  • 特定の知人と情報交換をすることがない
  • 特にこの一年、外食せず漫画喫茶などにも行かない

といったことから情報が入ってくることがどんどん減ってきている気がする。「ネットで情報収集」というのは、自分が探しているものは見つけやすいが、能動的に探していない情報が入ってくることはほとんどないのだと思う。